2015年11月20日(金)
常照皇寺は京都の神社仏閣の中でもかなりアクセス困難な寺です。
今回の旅は、レンタカーという最強の武器がある。
ありがたや。
ワタクシは10数年ぶり、2度目の訪問です。
ご覧の通り、超絶山の寺風情なんですけどね。
2週間前だったらこの山門は燃えるような紅葉だったことでしょう。
紅葉盛りの時期は狙えませんでした。
今はただただ、枯葉の階段だわ(涙)
勅使門がありますね。
勅使や皇族の来訪時だけ使う、専用の門が勅使門です。
塀には5本の横線が入っています。
コレ「定規筋」(ジョウギスジ)っていい、3本の寺、4本の寺もあるけど、
5本ラインは最上級の格がある寺のマーク。
皇族ゆかりの寺だけが刻めます。
勅使門完備&5ラインの超格式ある寺、ということになります。
地味目の山寺に見えちゃうかもしれないですケドね^^;
まあ・・・
10数年前に比べてちょっと痛みがキテルなー、という印象は否めない。
この常照皇寺は光厳天皇という方が開いた寺。
光厳・・・日本史では南北朝の項で習う天皇さんです。
南北朝の後醍醐天皇VS足利尊氏の時代って
テストの人名穴埋め問題で悩みませんでした?
「え?光厳・・・光明天皇もいるよね。どっちだっけ?」
って感じになるし
更に、勢力図も頻繁に変わるんだもん。
南北朝のところって日本史授業の鬼門だったわー。
さて、光厳天皇さん。
たぶん、ご本人はまったく望んでいなかっただろうに
南北朝の動乱の中で
皇太子にさせられたり、北朝の初代天皇になったり
拉致られたり、南朝方に監禁されたり・・・
散々に振り回される人生だったお方。
19歳で即位してから争いの渦に放り込まれ
ようやく南朝・北朝の争いが落ち着いた時には40歳を越えていました。
浮世がイヤになってもおかしくないよね。
禅の僧侶になり、1人だけの共を連れて巡礼の旅に出たんだそうです。
そんな光厳天皇が52歳で亡くなる2年前に辿り着いたのが
無人の廃寺だったココなんだということです。
人生のラストわずか2年だけが光厳天皇の平安な日々だったのかも。
当時はココってほぼ山!だったんだろうな。
常照皇寺は、京都駅からJRバスで1時間半+地域バスに乗り換えて15分、 バス停からさらに徒歩10分の僻地なのよ。
今でも十分、浮世から離れていると思うわ。
傷ついた心を癒すのはこの寺の環境のような静けさと自然の美しさなのかも、ね。
この正面の古木は桜です。
紅葉の美しさも相当なのですが
春も境内の桜めあての参拝者が訪れます。
(それ以外の時期はほぼ境内ひとり占めできるでしょうw)
あ。鹿のふんだー。
さすが山の寺。
鹿が境内を散歩するのね。
「山から餌を探して降りて来はりますからね。
寺なんやから来ないで言うても伝わらんし、困ったもんですわ」
と、受付のやさしそうな男性が話してくれました。
(前回来た時はコワイ女性だったのだけど、不在でヨカッター)
紅葉はもう終わろうとしています。
唯一残った開山堂周辺をムリクリ写してそれっぽくw
「でも、静かでいいお寺だったよ」
と、オットも気に入ってくれたようでヨカッタ!
お連れした甲斐がありました。
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