2016年9月11日(日)
午前中いっぱいをアルベロベッロで満喫。
午後はツアー会社催行のオプショナルツアーに参加だ。
世界遺産マテーラへバスで出発。
この旅行予約時の、オットとワタクシの会話。
オット 「オプションでさー、マテーラっていう洞窟住居に行くツアーがあるよ」
こにゃくう 「興味ありません。洞窟はキライです」
オット 「え~、7千年前から現在まで続く、珍しい住居群なんだよ?」
こにゃくう 「私、閉所恐怖症なんで勘弁してください」
だがしかし、
アルベロベッロでの朝から夜までの行動をシュミレーションすると
「あれれ?アルベロベッロって、一日あればほぼ満足できちゃうんじゃ?」
ということに気づきました、ワタクシ。
2泊するんだから、この近くのもうひとつの世界遺産に行ってみるのもいいかな?
と、そう思い直し
(洞窟はコワイけど)オットのオプション提案に乗っかることにしたわけです。
目的地に近づいてきたようで
行く手に絶壁が見えてきた。
壁に無数の洞穴が開いているのがバスからも見えるぞ。
あれが住居跡の一部分なのかな?
(でも洞窟に行くのはヤダナー 
)
洞窟住居群を「サッシ」と呼ぶそうです。
サッシが近くなると正面に屏風のような採石場が現れました。
マテーラ周辺は加工しやすい地質なのでしょう。
古来、簡単に掘り進むことができたことから
浸食も容易だったし、住居に加工することもできたのだろうね、と思う。
添乗員女史さん
「まずは、皆さまをサッシ群が一望できる場所にお連れします」
道路が狭く、この大型バスで進むには困難な場所に
ナイスビュー・ポイントがあるそうだ。
「皆様のために是非~」という添乗員女史さんのリクエストに応えて
「よし、行っちゃる!」と、敏腕ドライバー氏は
受けて立ってくれた。
パチパチ!
ありがとう、敏腕ドライバー氏。
サッシ群が一望できるポイントに到着。
(通称、ムルジャ・ティモーネ展望台というそうです)
んー?
一面、灰色で何が何だか分からない光景だぞ・・・と思うこにゃくう。
近寄って、凝視して
そして
息を呑む。
ナンダコレハ・・・!
灰色の崖に貼り付くように
いや、崖と一体になって何やら大量の家屋がある。
たぶん・・・千や2千はある?
入口をブロックで囲って家の体裁にしているのもあれば、
穴の入り口に扉をくっつけただけの家もある。
この辺りなんて廃墟状態だなあ。
添乗員女史さんが丁寧に解説してくれます。
「サッシ群は、グラヴィーナ川という河川が削った、深い渓谷に発生した住宅です」
ああ、ずーっと下の方に川が流れているね。
まっ茶色な水だけど。
あの川がこの渓谷を造ったのかー。
無数の洞窟が見えますね?
ああした洞穴に、
古くは、旧石器時代から人類が住みだしたようです。
遡ること約7千年前ということになります。
洞窟住居はその後も人類に利用され続け・・・
8世紀~13世紀には修道僧が住みついていたり
15世紀にはアドレア海を挟んだ対岸のアルバニア人が渡って来て
住みついたりしていました。
20世紀初頭になると
南イタリアの貧しい農村の人たちが
一旗上げようとマテーラに集まるようになります。
しかし仕事が上手くいかず、かといって故郷へも帰れず・・・
州都がポテンツァに移ったことで経済も衰退。
そうした夢破れた人々が
洞窟に住む道を選びます。
1920年頃、サッシの人口は爆発的に増えました。
上下水道も、まったく無い洞穴住宅群に大量の人。
家畜も洞窟の中で人と同居。
衛生面は最悪で
この頃の乳幼児死亡率は50%だったそうです。
いわゆる、「貧民窟」ってやつですね。
政府には「イタリアの恥」とまで言われてしまいます。
第二次世界大戦後、1953年。
サッシ地区をどーにかしよう!と考えたイタリア政府は
新しい住宅を造って
そこにサッシの住民を強制移住させます。
当時3万人が住んでいて1万5千人が応じたそうですが
貧民窟でも慣れ親しんだ住まいだ!と抵抗する住民も少なくなかったようです。
最後(1968年)は警察による強制執行。
サッシはイタリア政府の管理下に置かれ、
住むことを禁止された廃墟の街となります。
ところが。
1993年、サッシの文化的・歴史的価値が見出され
ユネスコにより世界遺産登録されます。
世界中の観光客が集まるようになり
再び息を吹き返す現在のサッシ群。
そうか。
マテーラのサッシは
7千年に渡って、人間どもが「上書き」をし続けてきた町なんだね。
添乗員女史さんの解説で俄然、興味が湧きました!
洞窟コワイなんて言ってられませんっ。
予備知識が無い観光も新鮮でいいもんです!
対岸から見るだけでなく
早くあの街の中に入って行きたいな~
「サッシ散策の前にレストランにご案内しまーす」(添乗員女史さん)
【 つづく:まずはランチなんだそーです 】