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16年南イタリア

28.マテーラ・サッシ住居のお宅拝見★イタリア・マテーラ

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前の記事よりつづき 】

2016年9月11日(日)

イタリアの世界遺産、マテーラの洞窟住宅地を散策してます。
・・・のつづき。


町のもっとも外郭。ヘリの部分にやってきました。
この場所に立つと
真下は絶壁状態であることがよくわかります。



川がV字形に削った渓谷の壁にできた穴蔵。
7千年前、そこに人が住みだしたのが始まりなんだよね。



望遠モードで対岸の壁面を撮りました。
いっぱい洞窟があるやー。
初期の住居跡なんだろうね。
上部に人がいっぱい立っていて、コチラを見ていますね。



マテーラ到着時に
バスのドライバー氏が苦労して連れて行ってくれたのが
あの場所、ティモーネ展望台なんですね。
※ティモーネからの大大パノラマは圧巻です!
車の足がある方は是非!とおススメしたい。



いや、車が無くても時間と根性があれば
ティモーネに行けると見た!
この通り、親切に階段があるし
対岸に渡ってもジグザグした道が築かれているのが見えるもの。



川だってこの立派な吊り橋でクリアだね。
5時間あれば往復できるんじゃないかなー?
次回のマテーラがあったら是非、歩いて行ってみたい! (←モノ好き)



雨水が頼りの暮らしで
上下水道が通ったのが1990年代なのだから
時間をかけて川に水を汲みに行くことも日常だったのではないかな。



そんなマテーラの洞窟住居、サッシの暮らしを再現した施設がコチラ。
カサ・グロッタ
入場料は1人€3。
強制移住まで住んでいた屋内を見学できます。

旧住民が帰ってきて元自宅を公開している施設が数軒あります。
あまりに手を加え過ぎな家もあるのですが
この家はリアリティを大事にしているようです。



おじゃましまーす。
ここは、そもそも1700年初期に造られた洞窟住宅でした。
1953年から始まった強制移住で
この家族も退去させられました。
1956年までここに住んでいた、と解説テープが語っていました。
(日本人ね?と分かると日本語の音声テープを流してくれます)



出入り口以外では、この高い所に取りつけられた小さな窓が
唯一の換気窓ですって!
そんな洞窟に、最大時で11人で住んでいた!と。
閉所恐怖症のワタクシには、
ムリムリムリ!



11人の家族だけではなくってよ^^;
お馬さんもいっしょでーす。
ついでに豚さんワンちゃん、ニワトリさんご一家も
ワンルームにご一緒・・・

そりゃ、不衛生!強制退去!って言われちゃうわよね。
疫病大流行で、子供の半数がお亡くなりになるのも当然か・・・



昔のお写真が置いてありました。
ホント、お馬さんは家族だったんだね。
他所様から見たら不衛生かもしれないけど
動物はかわいい家族であり、仕事のパートナーだと私は思う。
一緒に暮せば動物の体温は暖房装置にもなったのだろうと思うんだ。



ベッドが異常に高いぞ~。
海外のホテルでも時にめちゃ高くて、
チビのこにゃくうさんの場合、よじ登るレベルのベッドってあるけどさー。
サッシのベッドの場合、
床からの湿気をなるべく避ける為
ベッドの下にニワトリさんご一家が住む為
高めのベッド仕様になっていたそーです。



尚、おトイレはベッド至近ww
いや、コレは近すぎでしょ^^;



ちいさな・・・ライティング・テーブル?
かと思ったら、これが食卓だというのです。
11人もいるのに、このテーブルに全員で寄り集まって
大皿に盛った料理を食べていたのだそうです。



あまり凝った料理や手間暇かけた食事は出せなかったのかな、
・・・と思うケド
キッチンが意外と充実しているのは
どゆことでしょ?ww



食品等の貯蔵庫でしょうか。
「夜はベッドになります」
という、ナゾの解説が音声テープから流れていた記憶が・・・



CASA GROTTAの全体像。
子供の半数が亡くなってしまう生活は、悲しく辛い現実だね。
でも、この家庭を見る限りでは
大家族が肩寄せ合ってつましく暮している様子が浮かんだのです。
貧しいけれど、当人たちには
同情されるほど悲惨とは思っていなかったのでは?
というのがワタクシの憶測。




1963年のマテーラの動画があったので
貼りつけておきます。
1963年は、強制移住が始まって10年経った頃ですね。
この5年後には完全に無人にさせられています。

50数年前のマテーラなのに
「あ、コレあそこだ!」と分かるくらい変わっていない場所もあって
マテーラを旅した者には興味深い動画です。




町の風景は灰色だけど
当時の住民たちは、南イタリア人気質全開で
明るく、のんびり暮らしていたのではないだろうか。



当時のイタリア政府のするべきことは
強制移住ではなくて
インフラ整備と衛生教育だったんじゃない?
それが、廃墟にしてから30年後に世界遺産登録されるなんてさ。
1950年、60年当時お役人さんだった人にとっては
仰天だったでしょうね。



岩にくり抜かれた、たくさんの穴が
物言わぬ口のように訪問者に訴えて来る町なんです、マテーラ。
今回の旅行で最も気に入った町のひとつになりました。
再訪、熱望中!
(次回はレンタカーで行きたいな)



マテーラ・ツアー、終了。
アルベロベッロのホテルに戻る前に・・・と
バス駐車場脇にあるスポーツバーでおトイレ休憩へ。
ビールを飲みながら
日曜、昼下がりのサッカー中継を眺める
現代のマテーラおじさんたちがいる。

ああ、また現代に戻って来たんだ、ワタシ。
今まで7千年前から中世から1968年をうろうろ彷徨していたのに
イッキに21世紀に舞い戻った気がした瞬間でした。



崖の上はこんな住宅群があって
フツーに現代をやってるんだね、マテーラ。
サッシ(洞窟住居群)の空気に圧倒されて
少-し疲れた自分がいました。

さて、アルベロベッロのホテルに戻りましょ。

つづく :アルベロベッロでディナー 】
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4 Comments

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ふわり♪  

2017-02-26 06:01

アルベロベッロ、マテーラの旅程では一ヶ所にのんびり落ち着いて、という大都市観光とは違うのがネックになりますね
荷物を持って毎日移動は大変そうだなぁ~

古いものを生かしつつ文化的発展を遂げるには、そもそもその価値を見い出せていないとできませんもんね。あの住居じゃ、インフラ整備を考える方がハードルが高かったんでしょうかね~

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amalfi  

2017-02-26 13:38

キリストを主人公にしたパゾリーニ監督の古い映画「奇跡の丘」を見たことがあります。
マテーラが2000年前の舞台としてロケ地になっていました。
公開が1964年頃ですので、ちょうどこの動画が撮影された頃かも知れませんね。最初はどこの か遺跡で撮影したのかなあと思いました。

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こにゃくう  

2017-02-27 05:58

> ふわり♪さん

ほんと。50年以上前だし、住民は最下層だし。
政府としては新しい住宅地を造って移動、が最善だと思うでしょうね。

こうして記事にしていても、もうちょっと見たかったと思う町でした。
交通が不便、とamalfiさんのブログで知ったので、次回はレンタカーで南イタリアの町を巡りたいね、とオットと相談中です。

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こにゃくう  

2017-02-27 06:27

> amalfiさん
その映画のことを知らなかったので、検索してスチール写真を見てきました。
ほんとですね!これ、マテーラです。しかも、2千年前のエルサレムと言われても違和感ありません!
この映画の監督さんはこの頃すでにマテーラの価値を紹介してくれていたんですね。

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