2016年9月12日(月)
ま、こんなもんだよな・・・なピッツアのお昼ごはんを食べて
いよいよ本日のメイン、ポンペイ遺跡に入場です。
ポンペイ遺跡への入場はマリーナ門がメインですが
他にもエルコラーノ門、ザルノ門・・・7つの入場ゲートがあります。
添乗員女史さんは、ランチをとったリストランテから歩いて9分の
スタビア門まで導いてくれています。
とにかく広大なポンペイ遺跡。
数時間の滞在では一部しか見られない事は明らかですが
入場と退場のゲートを変えることで
少しでも効率よく巡ろうというビジョンでしょう。
ゲートに向かう道すがらでも左手にチラチラと遺跡が見えており
ひゃ~、早く入ってみたいなー!
とワクワク気分が盛り上がります。
ゲート前にて本日のガイドさん登場。
「チャオ!ワタクシ、ディアーナです!」
ツアー旅行に参加されると経験することですが
添乗員は観光地でガイドをすることが許されていません。
案内はライセンスを持ったガイドが行わないと違法になります。
そんなわけで、ナポリっ子の陽気な女性が
流暢な日本語でポンペイを案内してくれます。
今カラ1937年前、紀元79年のベスビオ山の噴火デ
一瞬にして埋没したのがポンペイ遺跡ネ。
16世紀末になって、地元の農民が偶然見つけたんダヨ。
1748年に始まった発掘によって
’79年8月24日午後1時’がタイムカプセルを開けるように現れたヨ。
「最初のスポットはココ!
剣闘士、グラディエーター。彼らが日々、訓練と練習をしていたグランドね」
グラディエーター、知ってますよ。
対、人だったり,対猛獣で闘う見世物的おにーさん達ですよね。
ローマ帝国の娯楽ってホント、残酷・・・

ちょうど今、へんてこなオブジェが展示されているでショ?遺跡が台無しだね。
こーいうの、やめた方がイイとディアーナは思うね。
あはは。
たしかに、意味不明な巨大アートですね^^;
「四角いグランドをぐるりと囲むこの小部屋は剣闘士の住まい。
自分の意志デ剣闘士になる人もいたけど
キホン、奴隷ネ」
まるで独房じゃないですか。
尚且つ、死闘を強制って・・・
絶望的だなー。
「ウン。でも、ポンペイの女性達に彼らはモテモテだったそうだヨ」
なるほどー。
マッチョふぇち女子って、時代を越えて存在するのねw
「隣接しているコチラは大劇場ネ。5千人も収容できたヨ。
オーケストラボックスやVIP席もアルよ。すごいでショ!」
さっきは残酷な娯楽だったけど
文化度が高い娯楽も充実していたんですね!
「ここはアッボンダンツァ通り。ポンペイで一番賑やかな商店街だね」
同じサイズの間口がずらりと並んでるわ。
当時の商店街のイメージが湧いてくるくらいリアリティありますね。
「壺が並ぶこのお店はテルモポリウム、居酒屋ダネ。
壺の中にワインが入っていたりしたんだろーね。
ポンペイ人は外食大好きだったんダヨ」
へー。なんだか’スープストック東京’っぽいわね!
ポンペイの庶民は外食が主だったそうだ。
余裕があるから外食する、というのとはちょっと違っていて
自宅にキッチンがあるのは裕福層だけだったのだ、と。
自宅に台所が無い人の為の居酒屋であり、ファストフード的存在だったというワケ。
ストリートの両脇には、ちゃんと歩道が確保されている!
コレ、発掘後に後付けした物じゃないんだよね?
すごいなー。
すでに歩行者保護の発想があったのねぇ。
所々に、飛び石みたいに並ぶ石がありますけど?
「コレはいわば横断歩道であり、バンプ、だね。
馬車のスピードが出過ぎないように
人が横切る所は石が出っ張っているヨ」
(馬車の車輪の幅は決まっていたので、この隙間を抜けるそうだ)
「見て見て!コレ、ワダチ、ダヨ!」
ひゃー。生々しいわ。
1900年前の馬車の轍。
「次はみなさんをポンペイでも大人気のお店に案内するネ。
大人気すぎて、混んでいる日は行列しないと見られなかったりする店ダヨ」
「79年も大人気、21世紀の今も観光客に大人気のこの店はルパナル、言うヨ。
昔も今も、みんなスケベ!だよネ
」
え?何のお店ですか?
「ルパナル、は娼館ダヨ。ポンペイには20軒以上のルパナルがあったよ」
ひー。
石のベッドはキツイですね!
まさかこのままじゃないですよね?^^;
「各個室の上に掲げられた壁画がキレイに残っているデショ?
コレ、各女性の得意技を絵で説明してるネ」
得意技、ってw
ディアーナちゃん、分かりやすい表現をありがとうw
ポンペイの文明の豊かさを知って欲しいンデスヨ。
コレ、見て!
「庶民用の共同水場ダヨ。
オブジェの口から水がほとばしり出ていたネ。
庶民用、と言ったのはね、裕福な家は自宅に水を引いていたんだよ。
スゴイでしょ!」
「地面のコレが水道管ダヨ。
1900年前に上水道システムがあったって驚きだと思わない?
鉛製デス。健康被害?うーん、あった、かもしれないね」
発掘作業していてコレを発見した人は文明の高さに驚いたでしょうねぇ・・・
広大な、ここは?
フォロ、広場です。
大勢のポンペイ人が行き交い、集っていたのでしょうね。
ベスビオ山が正面にドーンと見えるんですね。
当時のポンペイの皆さんは、朝に夕にベスビオ山を眺めて親しんでいたのかな。
日本人が富士山を眺めて「我らのお山」って思うようにさ。
でも、そのお山の噴火で消滅してしまったのだよね。
ベスビオ山頂まで10kmあるかどうか。
火砕流の速度を仮に時速100kmとしようか。
たった6分で!ここまで来ちゃうんじゃん。
それは逃げ切れませんわ・・・
「柱に付いているこのサインはナニだと思いますか?」
うーん・・・甕のような物を二人で担いでいるのね?
「コレは宅急便屋さんのマーク、だよ。物を運んでくれる商売、ネ」
宅急便って、ディアーナちゃん細かい日本語をよく御存じw
「みなさん、イッパイ歩いて疲れたデショ?
お風呂にご案内するよ」
「でもお風呂、見るだけネ。テルメ・デル・フォロだよ。
ポンペイ人お風呂大好きで、町に3ケ所のお風呂アリマシタ。
ここはそのウチのひとつネ」
凝った天井の細工。
お金かけて造ったのでしょうね。
もちろん、男女に分かれていました。
(ここは脱衣所、と言われた記憶)
大理石で出来た浴槽!
美しいバスタブだ。
「壁が壊れているところを見てクダサイ。
二重構造になっているデショ?
壁や床が二重構造になっていて
そこには蒸気が巡らされていたヨ。
室温を定温に保つ仕組みダネ」
大きな大理石の水盤。
噴水のように中心部から水が溢れ出ていたのでしょう。
この水でクールダウンしたり、水分補給したり?
「そうダネ。そして水盤の周囲に文字が書かれているデショ?
この水盤を寄付した人のもので、
選挙アピールが書かれているよ」
’ワタクシ○○に清き一票を!’的なメッセージかな?
イヤでも大勢の人の目に留まるよね、コレ。
頭いいわー。
ちょっとうっとうしいアピール方法だけどねw
ポンペイでは有名な、モザイクの床の家へ。
玄関先のこのモザイク。
「猛犬注意」と書かれているそうです。
このモザイク、見たことあるなあ。
通称、「悲劇詩人の家」
家の中にギリシャ悲劇のモザイクが発見されているから
そう呼ばれているネ」
残念ながら中は非公開。
保護用アクリル板越しに頑張って撮影したワンちゃん。
(モザイクはレプリカです)
あまりの衝撃でカメラを向けられなかった場所が↓ここ。
倉庫のような場所に無造作に置かれているモノ達。
その中に火砕流でなくなった子供とわんちゃんの石膏が。
18世紀、発掘作業が始まる。
掘って行くと時々、不自然な空間に行き当たるように。
これは、もしかして・・・とその空間に石膏を流し込んだら・・・
火砕流で亡くなった人の形が浮かび上がった、というお話し。
石膏とはいえ、そこで亡くなった人の最後の姿。
とてもとても正視できませんでした。
尚、↑の画像は無情なオットが撮ったものです(コラ!)
2時間以上に渡るポンペイ遺跡巡りは終了。
たぶん、全体の2割ほどしか巡れていないけど
ディアーナちゃんのおかげで楽しく、興味深く味わえました。
ただし、9月のポンペイ、非常に暑くて疲れます!
いや、この疲れは暑さのせいだけではないですね。
1900年の時空を越えて、
ポンペイがあまりにリアルに迫って来るものだから
脳みそフル回転でその頃の暮らし振りを妄想しましたし
また
大惨事のその時がイメージできちゃったりするものだから・・・
だから体だけでなく、脳も疲れた!というのが実感。
疲れても、それでも行く価値ある世界遺産です、ポンペイ。
いやー、すごかった!