※注意※ 当記事、たいへん長文となっております
スミマセン!
2016年9月13日(火)
イタリア・ナポリの街の真下には
4千年前から掘られた、広大な地下空間が広がっているんだと。
ナニそれ~
ナポリ地下遺跡でございます。
これが地下への入り口よ。
真っ暗且つ複雑な構造なので
案内人によるツアー形式です。
イタリア語と英語のツアーしか行われていないので
我らは今回、日本語堪能なステファーニャの通訳に頼るわけ。
ステファーニャ(以下、ステ)
「一回地下に降りたら一時間は戻れないからぜーったいトイレには行っておいてね~」
別途、英語のツアーも出発して行きましたがすごい大人数です。
40人くらいいるかも。
我らイタリア語ツアーは10数人と適当な規模でありがたい。
長い、長ーい、そして地下特有のしっとり&ひんやりした階段を下ります。
深く下るにつれ、温度もどんどん下がって行くのを感じます。
寒がりさんならジャケット必携でしょう。
階段を降り切った先には広大な空間がありました。
イタリア人ガイド嬢の説明をステファーニャが通訳してくれます。
ステ「約4千年前の話し。
古代ギリシャ人がこの地(現在のナポリ)を植民地にします。
彼らは、町を造るのに使う建材として地下に埋まった凝灰岩を選びました。
大量の石を切り出した跡がこの空間ってわけ」
相当、掘って掘って、切り出しまくったんでしょうね。
かなり広い空間が出来ちゃってる。
地上にネアポリス(ナポリの語源)が築かれるのに従って地下には亜空間が広がって行った、というワケ。
コチラは、こーんな工具を使って
こーんな感じに切り出していたよ、という再現コーナー。
このような空間、再利用されないわけは無く。
(お墓代わりに使われていた場所もアル
)
その利用方法は時代と共に様々に変化していきます・・・
ガイド嬢は次の亜空間へ我らを導きます。
てか!真っ暗ヤバいんですけどっ
閉所恐怖症のワタクシ!
ここはグッと我慢です。
すでに引き返せない所に来ていますから~(汗)
でもまあ、こうして撮影してますからまだまだ余裕有りマスw
ステ 「その後さらに2千年経ってナポリを治めた古代ローマ人は、
このギリシャ人が掘った空間を利用して地下水道網を造りました」
水道工事に定評ある賢い古代ローマ人。
高台にも水が供給できる、圧力式の水道システムまで造ったんだとさ。
この水道網は驚くことに19世紀まで!使われ続ける。
(圧力式システムの方はローマ帝国崩壊と共に使用不可に)
で、イタリア語ツアーのガイド嬢が指しているこの人型ですが・・・
水道管掃除人、オムナチェッロという専門職人がいて
こんな隙間に入り込んでいたんだよ、という説明用の人型。
オムナチェッロは、各家庭の細~い水道管や井戸を掃除して回る職人。
閉所恐怖症人間、驚愕!の職業です
地下経由で掃除に回ってくるらしいんです。
彼らはなかなか面白いヤツらだったらしく
どの家庭にも侵入可の特権を持っているものだから
深窓の令嬢に夜這いしたり
奥さまに気に入られて不倫したり
掃除代を払わない家庭からお金を盗んだり
また、困っている家庭に他所で盗んだお金を置いて行ったり・・・
ちょい悪サンタクロースのような、フリーダムな職人だったらしい。
地下の利用は時代と世紀を越えます。
次に現れたこの空間。
時代はぐっと近代になりまして・・・
20世紀の利用方法を解説したのがココ。
第二次世界大戦時にシェルターとして使われた。
防空壕ですね。
ベッドやこども用自動車のおもちゃが残されている。
ステ 「それでも井戸の穴を通じて、連合軍の爆弾が落ちてくることがあったの」
第二次世界大戦のイタリア。1943年9月に白旗を揚げると
昨日まで同盟国だったナチスドイツが速攻で襲ってきました。
ナポリは独軍機甲部隊の占領下に置かれます。
驚くことに、ナポリ市民はこの時、独軍にゲリラ戦で挑み、
4日間で独軍を撤収させてるんです。
「ナポリの4日間」と名付けられたエピソード。
熱いな、ナポリっ子!
連合軍の空襲時、またその後のナチスドイツとの市街戦時に
この地下空間はナポリ市民のシェルターになったんだね。
次の空間へ進みます・・・
ステ 「地下空間で植物を栽培する実験場に利用されているの。
適度な湿度のおかげで水やりをしなくても育つそうよ」
(照明は疑似太陽光線なんでしょう)
これは現代の利用方ですね。
次に進んだ、やや広い空間でガイド嬢が注意事項を述べます。
(右上で水道掃除人、オムナチェッロが仕事してますネ)
ステ「ここから、照明が無い真っ暗な空間を通り抜けます。
非常に狭いです。このツアーはやがてまたこの地点に戻って来ますから
閉所恐怖症の人は無理をせずにここで待っていてください、って言ってます。
どうします?行きますか?」
もちろん、行きますわ!
閉所恐怖症だけど、行くっ(汗)
ひとり1台ずつの燭台を持たされる。
を~。
探検ムード盛り上がるわー。
はしゃぐイタリア人どもww
自信がないのか、ここでリタイアされた方もいらした。
怯まず、行くぞー!
真っ暗な中、燭台片手に必死で撮った画像がコチラ。
狭さがお分かりいただけるだろうか?
狭い所は、フツウの体型の人でも体を横にしないと通れない 
で、結構長いんだな~
このツアー最大の難所にして最高のポイントです。
途中で、枝分かれしている古い水路があったりする。
こりゃ、案内人無しではとてもじゃないけど迷うわー。
細い細いチューブの先には・・・
お水もエメラルド色でキレイです。
日本の・・・龍泉洞とかあぶくま洞みたいな感じ、といったら褒めすぎか~?
飲めそうな水なんだけどなー。
地上から甕を下ろして水をくんでいたんですね。
古代ギリシャ人が掘って、古代ローマ人が水道網を造り
中世のナポリ人が掃除をこまめにして使い続けた地下水道。
だけど、19世紀に南イタリアからたくさんの移住者がやって来て
水道の状況が一変したらしい。
田舎と同じ感覚でナポリ生活を始めた農民たちには
上水と下水を区別することが難しかった。
何でもポイポイ井戸に棄てちゃったらしい!
ホントに「何でも」で、恐ろしい事態に。
地下水道は、あっという間にコレラの温床になってしまい
歴史ある地下水道は19世紀末に閉鎖となります。
やがて、ナポリの地下のことは人々から忘れられていきました。
第二次世界大戦時にシェルターとして再利用された事が
ナポリっ子たちが地下空間の存在を再認識した切っ掛けなのでしょう。
最後に通されたのはワインセラー。
ああ、ワインを貯蔵するのに地下空間は適温適湿度だよね。
「右の扉は修道院に繋がっていまして左の扉は尼僧院からセラーに入る扉でした。
お互いの僧がセラーで遭遇したら・・・後はお分かりよね?」
(ガイド嬢)
どよめき、よろこぶイタリア人ども^^;
あんたたち、シモネタ大好きだな~w
長い長~い階段を昇り切って
1時間の地下水道探検は終了。
この「ナポリ・ソッテッラーネア・ツアー」は2本立てなんです。
第二部がありまして
近くの「ローマ帝国時代の劇場跡」潜入がつづきます。
※長文おつきあいありがとうございました