
早朝の京都散歩実施中のワタクシとオット。
東本願寺、西本願寺の後、さらに西に向かう。
島原だー。
元禄時代に最も栄えた、政府公認の花街です。
今やフツウの住宅街になった島原に
突如、江戸時代の門が現れました。
往年は、この大門から向こうはパラダイスだったんだねぇ。
輪違屋!
輪違屋は置屋さんです。
この終わった花街で唯一営業を続けているというんだから驚く。
堂々とした店構えで威圧感さえあります。
(置屋は芸妓を抱えていて、お茶屋に派遣する芸能プロダクションみたいな存在)
浅田次郎の小説に「輪違屋糸里」と言う作品がありまして
ここ輪違屋の芸妓・糸里が主人公の新選組モノです。
浅田氏が書く土方さんは優しい人なんだー。
島原と新選組屯所があった壬生は歩いて15分ほど。
新選組の皆さまが頻繁に島原に来ていたのは史実。
○に高のマーク。特注の瓦なんですね。
(代々の主が高橋さんなんだそうです)
新選組目線で島原に来る者どもにアピールなんでしょうか?
「誠の湯」
って、どーいう湯?
いや、ただの銭湯のようですケド。
当方、「誠」と名付けられると気になるシステムになっているのでw
タオル無し900円かー。
AM 8:00~PM 11:00かー。
(気になり出しているw)
朝7:00の誰もいない島原だから
妄想力を駆使すれば幕末に行けるヨ・・・
角屋だー!こちらも島原に残る貴重な建物のひとつです。
(驚きの1641年建立!)
繰り返し画像や書籍で見て来たけど
実物は巨大で圧倒されます。
格子窓が整然と並び、中が伺い知れない所が京都だなぁ。
コチラは揚屋という営業形態でした。
揚屋=料亭
で合ってると思います。
1985年まで営業していた!というのも驚き。
今は、保存されつつ定期的に見学も可能。
これだけの外観をお持ちだから
内部は相当に豪奢なのだろう。
「新選組刀傷の角屋」って石碑、どーなの?
証拠・・・無いっすよね(笑)
その刀傷も見て見たいからなー。
次回は公開時に合せて再訪したい島原です。
「じゃ、帰路は油小路経由で帰ろう!」(こにゃくう)
と、強力プッシュ。
油小路。
あぶらのこうじ、と読みます。
ホントに油屋があって驚いたw
このお店イイ店のオーラが出ていたので、次回要チェックだ。
立ち寄りたかったのは油屋ではなく。
コチラの本光寺です。
「あのね、新選組の伊東甲子太郎っていたじゃない?
ここで新選組メンバーに殺されたの」 (こにゃくう)
「あー。大河ドラマの新選組!で谷原章介がやってた役の人ね」(オット)
武道一筋の隊士ばかりの新選組にあって
教養豊かで弁が立つ、という知性派だった伊東氏。
谷原章介のイメージがぴったり。
そんな彼は
近藤勇派とは袂を分かつ事になるわけだ。
仲たがいしたハズの近藤勇に「ウチで飲まない?」と誘われて
ゴキゲンなお酒を飲んだ後、
帰路ここに差し掛かった時に
待ち伏せしていた新選組メンバーに斬られた、というお話し。
この「南無妙法蓮華経」の石碑にもたれて絶命。
「で、彼はどこまで帰ろうとしていたの?」 (オット)
「東山の高台寺まで」 (こにゃくう)
それって、絶対マヌケでしょ!
尊王攘夷派、佐幕派、有象無象の者どもが暗躍する幕末の京都で
新選組とモメてる人間が酔っぱらって夜道を歩くなんて~
高台寺まで45分は歩くよ。
酔っぱらったらタクシーで帰りなさいよ~
ゆっくり2時間楽しめた早朝京都でした。
今回の京都行きの主目的は家さがし。
大阪に移動して
ムスメの住まい探しをしたわー。
ふふふっ
これで頻繁に京都&大阪に行ける。
ムスメには迷惑だと思うケド(笑)