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セルフでファミリーヒストリー

7.先祖の職場、浜田城/島根県@オットの世界遺産と私のファミリーヒストリー

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注:当記事、大変個人的なつまらない事しか書いてない上に長文です。お付き合いくださる方は注意してお読みください。

オットは萩市とその周辺の世界遺産物件が見たいという。ワタシはそのお隣県、島根で自分のルーツ探しをしたい・・・そういう目的の旅行の記録です。
前の記事より続き 】
2017年5月13日(土)
萩からレンタカーで2時間。次の目的地、島根県浜田市へ。

ワタクシの人生で初島根県です。日本海に面し、横に長い島根県。
出雲大社と松江城、玉造温泉あたりは他県からの観光目的地になり得るでしょう。


でもさ~、関東から島根県浜田市に観光に来る人って、そうはいないよねw私がこの町を旅先に選んだのは、浜田城が見てみたかったから。

2018年5月2日の拙ブログの記事に「こにゃくう実家の240年前を探して@愛知県西尾市」というのがあります。

こにゃくう実家8代目は江戸時代、岡崎藩に属していた寺の子として生まれています。で、17才の時こにゃくう実家である島崎家の養子になりました。今でも現存していた愛知県の寺、順覚寺に行ってみた・・・という記事です。


※愛知県西尾市の順覚寺

実家先祖一家は岡崎城下住まいだったと思われ。
さて、寺の子から武士になって1年目の1769年。
岡崎藩主を務めていた殿さま、松平康福殿が転勤になっちゃいます。
幕藩体制でいうところの「転封」ですね。国替え先は浜田藩。現在の島根県浜田市です。

相親くん、18才にして生まれ育った岡崎とさよならしなければいけません。現代と違って、一度離れたらもう二度と自分の都合で岡崎に来ることはできなかったでしょう。養子にきたばっかりに1年後には他所の国に行くなんて、心細かったんじゃないかな。

さて、以後こにゃくう実家の浜田藩時代が始まります。

浜田城は幕末に燃えており、建物は何も残っていません。城があった亀山に礎石が残るだけです。城はこの坂の上のようですね。登ってみましょう。


みごとに何も無くて笑うわ。せっかく来たのに~ぃ
NHKの電波塔、島村抱月碑(この辺の出身だったらしい)、訳わかんない神社。知らない政治家の胸像・・・などが置かれているだけで、お城の風情はゼロだわ。


浜田城は幕末に長州藩の大村益次郎軍団に包囲されまして、城から逃げ出すときに自ら城を焼いているんですね。だからなんにも無いの。石碑とか電波塔を置くのは空き地の有効活用かなw


それでも「浜田城跡」の文字を見れば、この空間のどこかで私の先祖は仕事をしていたんだろうね、と思う。まだ奥がありそうなので進んでみましょ。


こにゃくう実家・島崎家は、全然、大した家じゃなかったんですよ。身分は足軽です。
武士ランクで言ったら一番下。サムライ最下層。武士は名乗れるけどお給料(扶持米)は少なく、大したお仕事も担当させてもらえません。いわば、非正規社員か万年平社員みたいなポジション?
 
それでも江戸時代の武士は全人口の7%しかいませんでしたから身分があるだけでもマシな方だったとは言えましょう。


わーい、お城っぽい物が現れましたよ。説明書きによると浜田城の門ではないし、もともとここに門はなかった、と。
『明治3年の浜田県庁の門。さらにその前は津和野城の門だったもの』合同庁舎の移転に伴い、昭和42年にここに移築されたらしい。

でも、お城ムードが盛り上がるアイテムとしていいネ。

門をくぐった先からは、石段や石垣がそれっぽく残っていますね。三の丸、二の丸を登りつつ、本丸跡まで上ってみよう。


本丸までの行程画像を鬼張りしながら、こにゃくう先祖の松崎恒助あらため、島崎相親(スケチカ)君の浜田藩士・職歴ものがたりを語らせていただきたい。(出典ネタ元はこにゃくう実父の書付)



1772年。21才の時に養父である8代目が他界。島崎家9代目を継ぎます。継いだといっても足軽小頭の家なんですけどね。
で、32才に「御作事役」というお役目に付いています。これが最初の昇格だったんだと思う。


で、御作事役ってナニ?ぐぐったところ、城内の修理、藩内の神社仏閣の補修・・・というお仕事らしい。地味ですなw 庶務係って感じ?こーいう石垣とか、業者さんに発注して修理をお願いしていたのかしらね。


だが、実家に残る記録を読むとこれを皮切りに、どんどんいろんなお役目に付いていく。

1784年(32才)跡市組手代
1793年(42才)御勘定所見習い
1795年(44才)御勘定方
1798年(47才)御会所物書&元締役物書
1802年(49才)御勘定役&横目役、御山方

・・・ナニをする仕事なんだかさっぱり分かりませんけど、なんだか彼に対していっぱい業務が降って来ている感があります。
江戸時代、仕事は代々の世襲だったのが、200年も経って制度疲労していたのでしょうか。
返って新参者の相親くんの方が勤勉で優れていたのかもしれません。


1808年、55才の時ついに足軽から脱出して「徒士」の身分を手に入れています。
江戸時代、ひとくちに武士といっても、足軽と徒士の間には身分の太~い境界線があったのだそうです。足軽は袴をはくことも許されない藩もあったそうですから。
世襲制度ガチガチの時代です。足軽以上のラインを越えるって、大変だったんだろうなあ。

(※30分ほどで三の丸に到着)

私生活も充実し始めたご様子で、1822年には長男の梅五郎くんが結婚。
そして、ご本人もさらにキャリアアップ。1825年に中小姓になってます。

チュウゴショウ、ってナニ?どうやら、この身分以上だと藩主様にお目にかかって仕事するヒトになれるっぽい。(※二の丸に到着)


この頃、浜田藩主は松平康任氏に代替わりしています。「役柄は藩主の茶道、花道のお相手、お伴」だったと実家父が書いています。

3年前、こにゃくう実家を整理していたら、莫大な量の「茶席のスケッチ」が出てきまして、くにゃんくにゃんの文字、古文書状態なので読めないのだけど、大量の茶席の記録であることは伝わった。使った茶碗のスケッチ、茶軸、床の間に生けた花の絵まで、みっちり描かれていた。
たぶん、相親くんが殿や上役さんとの茶席を記録した物だろう。「相親の茶道な日々ブログ」かなw
外食して美味しかった、とかなんとかブログに書いている自分にこのDNAを感じるw



『(相親は)藩主より裃(カミシモ)を拝領し登城した』と実家父は書いている。

実直で忠誠心が強いのが特徴だといわれる三河人。その三河をルーツに持ったからかな?低い身分から努力した先祖さまです。(※本丸跡に到着。樹木が鬱蒼としていて、視界が開けていないのがもったいないなあ)


ついでに長男の梅五郎くんは最初から徒士デビューで、32才の時に父親と同じ中小姓に取り立てられています。
(※樹木越しに松原浦が見える。きちんと整備したら海を眺めるビュースポットに成り得ると思う)



生誕の地、岡崎から遠い島根でがんばり、一族の豊かな暮らしを手に入れて、相親くんは1832年(天保2年)に浜田でお亡くなりになりました。81才、江戸時代に於いては長生きですね。
(※何もない本丸。報国忠勇の碑と表示された銅像?の台座がポツンとあるだけ)


お城のイメージCGが掲げられていた。しかたない。これで妄想しておこうw
オットもよく付き合ってくれました。


『外の浦の湊』と題した説明板を読みながら、オットが尋ねてきた。
「’正面の岬上には、浜田藩の為に鎖国の禁を犯して密貿易を行い、1836年に捕らえられて死罪になった今(会)津屋八右衛門を顕彰した、會津屋八右衛門頌徳碑があります’って書いてあるけど何のこと?」



「ああ、ソレは浜田藩にとって重大事件でね。日本史では『竹島事件』として出てくるんだけど。竹島事件wiki
浜田藩が竹島で朝鮮やジャワと密貿易やって財力を高めていたの。それが幕府の隠密として浜田に来た間宮林蔵に見つかってね。藩主は退位させられて、浜田藩から福島の棚倉藩に格下げさせられたんだって。当然、我が家も棚倉に引っ越したんだよ。相親はもう亡くなっていて、長男の梅五郎の頃かなー?藩の石高も減っちゃうし、福島の寒~い土地で苦労満載。ウチもせっかく出世したのに、給料激減しちゃったんだって。ここ、浜田城にいた頃が島崎家の一番いい時代だったのかもね。」
・・・と、こにゃくうが亡き父から繰り返し聞かされていた話をしてあげた。



間宮林蔵さえいなければ今頃ウチは・・・は、亡き父の(半分ジョークを含んだ)もしも話の鉄板でした。
今回、こうしてご先祖さまも見ただろう浜田城からの風景を眺められて満足満足。
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2 Comments

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mihi♪  

2018-05-24 15:52

なるほど~御庭番の間宮林蔵が、よく働いちゃったんですね(;^ω^)。
それにしてもすごいです。
こにゃくうさんのルーツがこんなに深くまでわかってるってことが。
ご先祖様が見た風景を見られただけでも、収穫の旅でしたね^^。

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こにゃくう  

2018-05-24 17:39

> mihi♪さん
間宮海峡を発見したり、大活躍のタフガイのイメージがあって好きなんですけどね。
まさかの先祖の運命暗転のきっかけのヒトだったのでした。
(ま、悪いのはこっちだw)
どうやら、先祖代々こまごまと記録に書いて残すのが好きな家族だった気配・・・
それでいろいろ書物が残ってます。
その傾向って自分もかも?と思ってます(笑)
mihiさんのブログを読んだ子孫が200年後に跡地巡りしてくれるかもしれませんよー。

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