オットは萩市とその周辺の世界遺産物件が見たいという。
ワタシはそのお隣県、島根で自分のルーツ探しをしたい。
・・・そういう目的の旅行の記録です。
2017年5月14日(日)
石見銀山にはいつでも見学可能な坑道跡(龍源寺間歩)がありますが、ツアー参加者限定でしか見学できない坑道跡もあります。
大久保間歩(おおくぼまぶ:石見銀山では坑道のことを間歩と呼びました)
石見銀山世界遺産センターが集合場所。入口にそのツアーの案内板が置かれていますね。
4月~11月の金・土・日・祝&お盆期間に1日4回運行(9:30、10:30、12:15、13:15スタート)
1回につき20名限定、所要時間2時間30分。料金は大人4千円、小人2千円
あいにく我が家の場合オットがこーいうのが大好きなものでワタクシもお付き合いです
ヤレヤレ(閉所恐怖症なので積極的にはなれない気分)
センターで2人分 8千円をお支払したら、現場である大久保間部入口までバスで運んでいただきます。
登山口?って感じのゲートに5分程の乗車で到着。ツアーの案内をしてくださるのはボランティアガイドさん。今回の参加者は15名ほどだったかと。
ガイドさん「江戸時代、銀山は尾根に沿った柵で囲われていました。侵入者防止のため、銀の不正持ち出し禁止のため、ですね。で、要所要所に番所を設けて監視をしました。最大時で10ヵ所あった番所のひとつがここ、木谷口番所」
鉱山には20万人も住んでいたとも言われているので生活物資を売りに来る行商人がいました。
行商人もこの番所を通過し、併せて通行税を取るのが番所の仕事でした。
ガイドさんが持っているイラストのような町並がこの森の中に展開されていたとは、ちょっと想像ができません。
整備されているので歩きにくいことは無いですが、足元はしっかりした靴でないと無理ですね。軽いトレッキングって感じで、たのしく歩いて行きます。
そうして登って行く道すがらにも、山の斜面にぽっかり開いた坑道跡が現れます。
いくつも、いくつも。
ガイドさん「こっちは間部番号169の下金生坑です。
間歩のひとつひとつに番号をつけて管理しています。
間歩は全部で700ほどあるんですよ。ちなみに、明治以降の再開発坑道は間歩ではなく『抗』と名付けています」
を~。目的の大久保間歩に着きましたね!でも、侵入するには装備が必要なんですって。
いらっしゃ~い、と係の方が我々15人を出迎えてくれました。ここで間歩探検必須アイテム3点セットを貸してもらいます。
懐中電灯!!
ヘルメット!!!
(ヘルメットが汗ばむとナニなのでインナーキャップも)
長靴がダサいじゃないか!とか、ヘルメットを被るのは美的センスに反する!とか
そーいうこと言っている場合じゃない事態なので已む無くワタクシもしぶしぶ装着w
説明板の前でガイドさんのレクチャーを伺います。
大久保間歩の大久保は人の名前です
江戸時代の初代石見銀山奉行、大久保長安。元々は猿楽士の子で武田信玄に仕えていた。
家康は、彼の土木技術や鉱山経営の手腕を高評価して召し抱え。石見の初代奉行として派遣した。
後に、伊豆の金山・佐渡金山の奉行も兼務になる。
家康には好かれ、晩年は一緒に駿府に住む仲に。なのに、長安が死ぬと家康は一変して大久保の一族を断罪。
長男切腹、妻子死罪。
歴史から抹殺されます。謎の多い人物です。
その長安が「馬に乗ったまま、槍を持って入れるくらい大きい穴だった」という伝説から「大久保間歩」と名付けられました。
ガイドさん「中は真っ暗です。物を落としたらまず見つかりません。貴重品以外は小屋に預けて行った方がいいでしょう」
「壁面を触らないように。貴重な遺産です。カバンが触れるのも避けてください。カバンは体の前に。リュックのように背負うタイプ、肩掛けタイプは、預けるか体の前に持ってきて」
「間歩内の滞在時間は30分以内と決められています。厳守で行きますよ~」
了解です!緊張してきました。
3点セット装着オッケー!冷蔵庫のような冷気を吐き出す間歩に入って行きます。