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滋賀

安土城跡@滋賀県・湖北の旅のラスト

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前の記事よりつづき 】
2017年11月19日(日)
琵琶湖の東と北を巡る旅をしてきました。湖東三山を行く中で
『織田信長は比叡山焼き打ちの直後に当山も焼き・・・』 西明寺
『信長の兵火により一山悉く焼亡烏有に帰し・・・』 百済寺
『金剛輪寺も同罪とされ、信長に火を放たれ・・・』 金剛輪寺
・・・などなどの経緯を知るにつけ「近いみたいだし信長の安土城に寄りたいね」


ということになり、そろそろ帰路の新幹線の時間も気になる所ですがギリギリまで見てみようとやって来ました、安土城跡。


『一周約45分から90分』と所要時間の案内掲示が。ああ、全部の見学は絶対ムリだ~。でも急いで天主まで登ろう!てか、ナニ、この石段の長~いこと!しかも一段一段が高い(汗)


他のみなさんも昇り降りに難儀しております。昔の人間ってもっと低身長だったし、袴姿でしょ?相当厳しい階段。敵がイッキに登って来れないように、でしょーかね。


この階段(大手道)の両脇に前田利家邸跡や秀吉邸跡、徳川家康邸跡が現れました。重鎮はサイドを固めるように屋敷をあてがわれたのね。で、湖東三山のひとつ、百済寺の説明にあった「石仏」が、ホントに城の建材になっているのを見ることができます。


百済寺を焼き打ちした後、この安土城建築の建材に流用するべく寺の石垣や石仏までもごっそり盗られちゃった、って百済寺さんが教えてくれた件。コレだ~。よりによって人が足で踏む階段の材料に石仏を使うってノブナガ、あんた・・・(汗)
うわあ・・・と思ったチキンハートの私は正面から写すこともできなかったので、こんな分かりにくい画像でスミマセンw


10分ほどガツガツ昇ったら「信長公本廟」鬱蒼とした杉林の中、石垣の組まれ方がキッチリ丁寧なのが印象的。


廟の中は立入り禁止なので隙間から拝見してます。ご存じの通り、信長の遺体は行方不明のままなのでここに納められているのは太刀、烏帽子、直垂(ひたたれ)など、彼の遺品。法要を仕切ったのはもちろん秀吉ね。(信長の墓はここ安土城以外にもいくつもあります)


本廟の横に絵馬コーナー。信長はもはや神レベル?帝塚山学院大学絶対合格』『家内安全』ソレ彼に祈って叶うのかな^^;


コチラが天主跡です。立派な礎石が並んでいます。我らが立っているところは地下1階に相当し、その上に更に6階建の天主が建っていた、って!木造で高さ33m。巨大な物体、想像できな~い。


説明板を読むと、この場所は昭和15年までほったらかしだったというのが興味深い。掘り出してみたら古文書の通りの巨大な建物を想像させる礎石が現れたと。その時は驚いただろうし、ドキドキしただろうなあ。


広がる田園の向こうに琵琶湖。一望に出来る絶景です。


今回は紅葉めあてに初めて琵琶湖周辺に来ましたが、歴史のいろいろなシーンで絡んでくる重要なエリアだったのだなあ、と実感することができました。美しいだけでなく、歴史好きのハートに響く湖東・湖北の旅でございました。


新幹線に乗るべくJR米原駅に向かう時、雪を被る鈴鹿山脈が正面に。あそこはもう冬なのね。
【 湖東・湖北の旅:おしまい 】
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