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19年クロアチア・スロベニア

22)プーラ/クロアチア@ローマ帝国以来の歴史の町

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前の記事よりつづき 】

2019年5月1日(水)

イストラ半島個性的町めぐり。
最後に訪問したのはプーラ。
張り直し22)プーラ/クロアチア@ローマ帝国以来の歴史の町
プーラっ子に「町一番の自慢スポットはどこ?」と訊いたとしたら、この円形競技場と答えるんじゃないかな。

プーラ
プーラの円形競技場。
言わずと知れたローマ帝国の遺産。
欧州~アフリカ北部までにも残されている、当時の庶民の娯楽施設。
ここプーラにもあったのね。

張り直し22)プーラ/クロアチア@ローマ帝国以来の歴史の町
1世紀に建設されたそうな。
世界に残っている円形競技場の中では保存状態良好レベルなんだそうです。
2000年前の物件がよく残ったわね!

張り直し22)プーラ/クロアチア@ローマ帝国以来の歴史の町
23000人収容可能!・・・ってさいたまスーパーアリーナくらいの収容能力よ。
「現存する円形競技場では6番目に大きいんです」(添乗員男子さん)
なるほど。その頃のプーラが大都市だったという証ですね。

張り直し22)プーラ/クロアチア@ローマ帝国以来の歴史の町
欧州の国に行くと、ちょいちょいローマ帝国円型競技場に出会いますよね。(あと水道橋もデフォ)
中学高校でローマ帝国の広がり具合を習ったものだけど、ほんとあの人達の勢いは凄かったのねえ


プーラ
こうして旅先で出会い、目の前にすると、ローマ帝国の影響力と威力を実感しますよ。

プーラ
プーラは見どころがコンパクトにまとまっているので、散策しながらスポットめぐりです。
アーチがふたつ並ぶ門。
ふたご門 (Twin Gate)
プーラ城に設けられた門のひとつで、1世紀プーラ時代の建造らしい。
隣の建物は旧ユーゴスラビア時代の物かな?と思う
社会主義臭がする建物だ。
ローマ帝国と社会主義が隣り合ってるよ。

プーラ
これもヘラクレス門というローマ帝国時代の門。
奥に近年の建物がありまして、2000年経過した門でも門としてフツーに使われ続けているようです。

プーラ
ごくフツーの市街地です。
歩道の右手は壁?石垣?・・・みたいな塀。
ヘラクレス門から連続して、この壁もローマ帝国以来の壁なんだと。
2000年経っても使用中!
遺跡でもなんでもあるなら使っとけ、って感じなのでしょうか?


プーラ
セルギウス凱旋門。
堂々とした佇まいでかっこいいです
同じくローマ帝国時代の物件。

プーラ
装飾が細かい。
相当力を入れて造ったのだろうなあ、と。
まったく知らないのであくまで直感ですが。

プーラ
古代ローマ語なのでしょう
碑文に建立の経緯が刻まれているそうな。
「プーラのお金持ちセルギウス家の3人が戦でがんばったからコレ建てたよ~」
みたいな内容らしいです。まったく読めないけど。

プーラ
「セルギウス凱旋門は別名、金の門とも呼ばれました。
建設時は金の装飾が施されていたそうです」(添乗員男子さん)
は?
夜中に速攻で削り取られたでしょーねw


プーラ
旧市街。
セルギウス凱旋門からつづく道は、地元民が日常でショッピングしたり観光客が街歩きしたりする中心部のようです。

極度乾燥(しなさい)があった~w

時に海外セレブも着ている人気ブランドなんだけど、日本ではご商売はなさっていない。
この誤植ではあたりまえかw
(誤植ではなくわざと、らしいけど)

プーラ
クロアチアではやっぱりモドリッチが人気なんだろうなあ。
10番モドリッチのクロアチアユニフォーム買えばよかったかな。


プーラ
最後に案内されたポイントはこの広場。
Forum (フォーラム)
正面は、1296年当時のベネチア共和国時代の「市庁舎」で、今でも現役のプーラ市庁舎です。

左の、いかにもローマ帝国風!みたいなのは、ローマ帝国時代の「アウグストゥス神殿」
1290年違いの建物が隣り合っている不思議。

更に興味深いのは、この神殿の変遷。
ローマ帝国の神殿  キリスト教の教会  食物庫

ここでもまた!「あるなら使っとけ」主義w (安心してください、今は博物館)
もともとは3つの神殿が並んでいたそうだけど、今はこのひとつだけが修復されて健在です。

プーラ
市庁舎の裏手に周り込むと、背後の壁がなんか変。
向って左のデザインが突然「ローマ帝国」になってます。

これは、ベネチア時代に市庁舎を造るに当たり、神殿のひとつを壊して
その神殿の一部を市庁舎の裏壁に使っちゃったということなんだそうです。
ベネチア共和国大胆だな、ヲイ^^;


プーラ
今と違って建材入手も簡単ではなかっただろうし
世界遺産になるかも?とか、古代遺跡は歴史的価値が・・・なんて発想は無いものね。


プーラ
イストラ半島の町でもとびきり歴史が長いプーラです。

紀元前のローマ帝国の後は
1150年からヴェネチア共和国時代
18世紀のハプスブルグ家支配時代もあるよ。
20世紀にイタリアになったかと思ったら、そのあとはユーゴスラビア・・・からのクロアチア。

プーラ
この町の人々はクロアチア語だけでなく、イタリア語もフツーに話す。
さらに英語はもちろん、ドイツ語もしゃべれたりするのは
いろ~んな支配者がやって来ては去る・・・ということが続いてきたからなのでしょう。

プーラ
イストラ半島の町巡りはこれで終了。
この半島エリアは、クロアチア観光の中で今後日本での人気度が上がる気がします。

【 つづく:オパティアでディナー 】


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2 Comments

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円形と言えば…

Janedoe1471  

2019-08-31 23:55

円形脱毛症…じゃなくて、闘技場を見ると、どうしても、ブルース・リーを思い浮かべてしまうわたしです^^
この町は、なんだか、ローマの雰囲気が、いっぱいですね。

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こにゃくう
To Janedoe1471さん

こにゃくう  

2019-09-01 15:27

香港映画でコロッセオ?と一瞬思いましたが
ブルースリーの作品写真でそんなシーンを見た気がします
映画は観てないけど脳内イメージ湧いてます!

>なんだか、ローマの雰囲気が、いっぱいですね。
ローマ帝国の勢いはスゴイです。
行く先々の国を自分たち色に塗り替えて突き進んだのねー、と
後世の者は感心します。

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