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19年クロアチア・スロベニア

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア

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前の記事より続き 】
2019年5月5日(日)
46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
AM 9:00、ツアーによる旧市街観光スタートです。昨晩の大雨とは変わって青空が広がりつつあります。くじ運無いけど晴れオンナのワタクシ。さすがです。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
我々ツアー民のガイドは、画像右の男性。ミッシェル、40代(かな?)のドブロヴニクっ子です。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
プロチェ門から入城した我ら。ミッシェルの解説は、城壁に掲げられていた『爆撃の跡』マップの説明から始まりました。「1991年12月。聖ニコラウスの祝日にドブロヴニクは2000発の爆撃を受けました」▲や△●が被弾した建物や屋根、直撃した歩道を表示しています。赤い四角は全焼した建物。
ユーゴスラビアからの独立時の内戦で、ドブロヴニクが受けた被害なのでした。凄い数だな。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
ミッシェルは我々を「スポンザ宮殿」という16世紀当時の商取引所に案内してくれたのだけど
そこに併設されていた「THE MEMORIAL ROOM OF DUBROVNIK DEFENDERS」という展示コーナーの印象が強烈だったおかげで、スポンザ宮殿の記憶がほぼ無くなったレベル。
1991年12月に始まったドブロヴニク包囲の実態を伝える資料室なのだけど、攻撃で亡くなったドブロヴニク市民の顔写真が一面に貼ってある。全員分ある、とミッシェルは言った気がする。
「彼は僕の知人。この人も。」若者の写真を指すミッシェル。「ガイドの仕事でここに来ることがあるのだけど、いつ来てもいつも辛い」苦し気に首を振るミッシェル。
そっか。彼は40代だろうから、あの内戦の時は10代後半で、この写真の彼らと変わらない年頃だったのだろう。(展示室内は撮影可だったけど、撮るのが申し訳なくて画像がありません)

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
「人気の世界遺産」「アドリア海の真珠」「レンガ屋根の旧市街と紺碧の海のコントラスト」
陽光輝くドブロヴニクは、明るいイメージが浮かぶパーフェクトな観光地なのだけど
ミッシェルのガイドのおかげで、今のドブロヴニクは相当な努力と時間をかけてようやくここまで復活したものなんだね、と実感です。旧市街の70%が破壊されたというから、被害は甚大。ドブロヴニクは世界遺産ですからテキトーな修復は許されません。古地図に則って、正確に復元していったそうです。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
ミッシェルの先導で「旧港」へ移動。静かで美しい湾だよね。中世は造船業が盛んだった旧港。今ではそんな旧ドッグはレストランになって人気を集めています。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
ドブロヴニクの猫のユルさはウルトラ級。人が近づこうがお触りしようが、泰然としてお昼寝敢行。
よほど猫にとって平和な町なのだね。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
「大聖堂」へ。そう広くはないドブロヴニクの町なのに、教会関係のビルディングの多いことったら。ひとつひとつ見ていくと記憶が混乱してきちゃう。そのうちでも、この「大聖堂」は見ておくべき物件かも。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
この日は日曜日ですから、ちょうど日曜ミサの最中でした。見学はできたけどあまりお邪魔はできない雰囲気。写真もこれだけしか撮っていません。正面の祭壇に飾られた「聖母被昇天」の祭壇画。コレが見どころのひとつ、という大聖堂でした。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
「オノフリオ大噴水」中央のドーム状の構築物が噴水です。小野振夫?じゃなくてオノフリオ・デラ・カヴァさんが造った噴水。噴水というか公共の水くみ場なのでした。町の形状を見ての通りドブロヴニクは川がないので雨水に頼ったり、井戸を掘って海水を濾過したりして飲水確保していたそうな。人口が増え産業も盛んになった頃。もっと水が必要だよね、ということで1438年にオノフリオさんがスルジ山の北側にある水源から12km、水を引っ張ってきた上水道がコレ。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
今でも飲用水として飲めますよ!と、添乗員男子さん。すごいなオノフリオ。てか、その頃のドブロヴニクの財力の豊かさと民度の高さを感じますよ。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
「フランシスコ会修道院」ここも、大聖堂と並ぶ必見教会施設かも。ロマネスク様式の回廊が中庭を取り囲む、という優雅な構造になっています。陽が差し込んで気持ちいい空間。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
回廊は美しくてよかったな。だけど奥は「薬の博物館」みたいな展示室で、ワタクシ的にはイマイチ興味の他でしたwスミマセン。それよりも、この修道院内にある薬局でしか売っていないコスメが気になっていて…

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
添乗員男子さんからは「あの薬局は日曜は休業なんですよー」と言われていたのだけど・・・情報通りの「本日休業」(涙)14世紀に修道院が造られてからずっと併設されてきたという、世界で3番目に古い薬局。どんなコスメやろ~?と思うじゃないですか。ザンネン。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
フランシスコ会修道院で興味深かったのは、ドブロヴニクを精密に描いたこの古い絵画。1991年の内戦による壊滅以外に、17世紀にもこの町は被災しているのだそうです。1667年に大地震があってその時の崩壊ぶりも相当だったとか。この絵は、大地震前のドブロヴニクを描いた貴重な物。精密ゆえに「あそこ変わってない」「17世紀はこうだったんだ」と比べることができて面白い。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
「プリイェコ通りとその左右に展開する小路」ミッシェルおススメのグルメストリートにつれて行ってくれました。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
大通りのプラツァ通りも良い感じだけど、裏道のプリイェコ通りは小さなカフェやレストランが左右の路地にも広がっていてとても個性的な雰囲気。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
2泊の滞在では物足りないドブロヴニクなのだ。

散策中、ミッシェルの解説で「へ~」と思ったもの3つ。プロチェ門から町に入った辺りの城壁。四角い穴が点々と人工的に開けられているようだけど?
46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
昔、ツバメの巣になるように開けていた穴なのだそうです。「今は鳩くらいしかねぐらにしてくれないねえ」(ミッシェル)そうか。ツバメは何処の国でも益鳥なんだね。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
フランシスコ会修道院あたりの壁に、コレ鬼瓦?雨水の排水口かなあ?「トップの小さなスペースを足場にして乗るよ。そしてそのままシャツを脱ぐ。成功したら幸せになるんだ」(ミッシェル)
は??意味が分からなくてスミマセン^^;色々と突っ込みどころ満載なんですケドw

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
「このお土産屋さん、スター・ウォーズグッズが充実してるでしょ?」(ミッシェル)
なぜ今、ドブロヴニクでスター・ウォーズ?2017年のスター・ウォーズ8、最後のジェダイのロケが行われたんだって。「僕もエキストラで兵士の役で出たよ!」(ミッシェル)ごめん、観ていないんだ~。

さて、ミッシェルによるドブロヴニクざっくり観光は終了です。
46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
「ハイ、これ城壁ウォークのチケットです。城外にあるロヴリイェナツ要塞のチケットも含まれているから、要塞も見るなら失くさないようにね」(ミッシェル)彼とはここでお別れです。ありがとう、ミッシェル。

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
城壁に上がるゲートは3か所あり、我々がアプローチしたのは北東サイド、プロチェ門近くのゲートからでした。「城壁歩きは2時間のフリータイムでお好きに歩いていただきますね。お疲れになったら一周せずに西側のピレ門側からリタイアもできますよ」(添乗員男子さん)いや、こにゃくうは2周したい気分ですがなw 行ってきまーす!

46)ガイド氏によるドブロヴニク旧市街案内@ドブロヴニク/クロアチア
スタートした端からこの景色!うわ~、これは歩みが進ません!
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2 Comments

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つらい歴史

ふわり  

2020-02-15 09:40

ユーゴーの内戦は、ベルリンの壁崩壊よりまだ後ですもんね。しっかり私たちも生きていた時代ですもんね。
かつてのボスのご子息がJICAからボスニアに派遣されていました。彼がミッシェルよりちょい上ぐらいになるのかな〜

修道院、いいですね〜 外からは窺い知れず入らなかったことを今さら後悔。よくあるパターンなんですけど。
で、薬局はこの中にあったんですね。クロアチアの情報ってあまり多くなくて、すっかり勘違いしていました。なーんだ、一層入れば良かったです。

城壁内はわかりピレ門以外はなんかややこしくて、間違ってでちゃったら再入場できないんじゃないかとビビッてしまい、なんか見られそうだったのに近づけなかったことを覚えています。
そういや、私と2年違いで行かれてるんですよね。真夏は暑過ぎるので、ベストシーズンだったと思いませんでしたか?

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こにゃくう
To ふわりさん

こにゃくう  

2020-02-16 04:58

〉かつてのボスのご子息がJICAからボスニアに派遣されていました

そういう事なら、遠いバルカン半島の出来事も身近で感じるでしょうね。
私はチトー亡き後、じりじりと旧ユーゴの状況が変わっていく報道がされていたことを覚えています。
内戦の報道も記憶にあります。
ただし「クロアチア」という国の印象は私の中ではそこで止まっていて(←バカ)
実は、近年クロアチアが人気旅行先になっている件を知るたびに「へえええ」と思っていたおバカさんです。今回クロアチアに実際に行ったことでようやく見聞広がりました。

修道院は他の教会たちよりも一層荘厳でした。町の人たちの自慢なのも納得です。
薬局が休みで残念だったわー(涙)

5月でも激暑でした。真夏の城壁ウォークだったらもっと厳しいでしょうね。日陰無いもの~
悔しいけど、城壁の上に現れたカフェで15knで水買っちゃいましたよw
寒い時期だと海風が厳しそうだし、たしかに日本のGW時期が一番いいかもしれませんね。

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