勝山館跡はアイヌと和人のコミニュティ?@北海道/上ノ国町
【前の記事より続き】
我が家のレク係、オットに引率されるままにだーれもいないフツーの国道沿いを歩いています。「勝山館」かつやま-だて、と読むようですね。「館」は小規模な城というか、砦ですかね?
これがおもしろそうなスポットですか?

およそ首都圏から飛行機に乗って北海道にわざわざ来た旅人が行くべきスポットではなさそうですけどw 予備知識ゼロですからレク係に付いて行くだけです。お城跡とか見るのも大好物ですし。

お城へのアプローチ、こんなのでやんの(笑) 大丈夫かよ~

石碑があって「勝山館跡」とありますから、この先にあるのね?ただの裏山じゃなかったかw 進みます…
立ち止まったら蚊に刺されそうなので、ノンストップで登り続けています。「誰の城?いつの城?」などなど、登りながらオットに質問攻め。

ざっくりとしたオット情報によると、1500年代の城だそうです。それって戦国時代だねえ。北海道といえば松前藩なのだけど、この勝山館の当主・蠣崎家はその松前家の始祖なんだそうだ。(江戸期になって松前さんに改姓した)松前城を造ったのは江戸期になってからで、そのずっと前にここが本拠地だった時期があったらしいよ。
へー。松前藩について考えたことも無かったな。徳川時代になる前はこんな山の中の城だったか。

へー。松前藩について考えたことも無かったな。徳川時代になる前はこんな山の中の城だったか。


空堀(水がない防御の為の堀)の存在がよく分かるように復元されていてありがたいです。イメージ湧きますもの。ここの発掘調査開始は1979年で、見学コースを整備しつつ40年以上の事業です。

発掘された建物の基礎部分を、分かり易いように表示。柱の太さ、間隔。家屋の大きさを想像しています。

建物跡が見つかっただけでなく大量の日用品、装飾品が発掘されています。興味深いのがアイヌの人たちが使う「骨角器」というのがいっしょに見つかっていること。これが何を意味するか?

大量の墳墓も見つかっている。仏教式で埋葬されている墓が見られ、それは所謂「和人」の墓。いっしょになって、アイヌ式スタイルで埋葬している墓も混在しているという点が珍しい。このことから導かれたのが「勝山館では和人とアイヌ人が共存して生活していたと考えられる」説。これって、驚きじゃないですかね?

※四角形に表されているのは柱の跡。4本柱を持つ、見張り台を兼ねた「櫓門」が建っていたと想像されるそうな。道の両サイドには排水溝も※
アイヌに対する和人のアクションって、ほんとアイヌさんごめんなさい!な行為しかやらかしていない認識でした。けして長期ではなかっただろうと思うけど、ここが栄えていた一時期だけでもそんな奇跡があったのか!と驚きました。

高台に登ってきて、振り返るとこの絶景。遠くに江差が見えていますよ。ここで和人とアイヌの人たちが同じ方向を向いていたということですか。ロマンだわ。

散策路はやがて、両サイド草地になります。その草地には点々と、おびただしい数の杭が。ナニコレ?「あ~


『第Ⅱ地区40号墳』とか番号が振ってあるものねえ。怖くないか??でも、この墳墓を発掘調査したからこそ和人とアイヌの奇跡の和睦生活が明らかになったのよね。「あの建物がビジターセンターだと思う。いろいろ疑問を教えてもらおうよ」(オット)

たくさん聞きたいことがあるね~、と楽しみに近寄ったら・・・まさかの休館日(涙)

たくさん聞きたいことがあるね~、と楽しみに近寄ったら・・・まさかの休館日(涙)
そうだった。今日は月曜日。多くの公共施設は月曜休業だよなあ。勝山館の分からない点を解明したかった~。
意外なことに、我ら以外にも「休館」と知らずにやってきて、がっくりしている人が複数人。ひとりやふたりではない。しかも、ナゼだか全員が男性ひとりの単独訪問なんだ。
意外なことに、我ら以外にも「休館」と知らずにやってきて、がっくりしている人が複数人。ひとりやふたりではない。しかも、ナゼだか全員が男性ひとりの単独訪問なんだ。
たとえば画像に写りこんでしまった彼です。ワタシ、ニオイますわ。これはヲタクが推し関連の巡礼をしているニオイ。ワタシ自身も聖地巡礼するときはこの雰囲気を纏うからw

※山頂(夷王山)に神社。ここからの景色は一見の価値あり※
彼らはいったいナニの聖地巡礼をしているのだろう?しばらく考えて、もしかして?と思い至ったのが「ゴールデンカムイ」です。
原作は漫画ですが、ちょうどこの旅行の2か月前までテレビアニメが第1期を放送していたの。ワタシも、このアニメ面白いな~と気に入って夜に観ていました。

悲しいアイヌの歴史は事実だけど、それ以外の賢いアイヌ、たくましいアイヌ、自然と共に暮らすアイヌ・・・そんなかっこいい姿に興味を持つ人が勝山館にも立ち寄るとしたら面白い傾向。
「上ノ国の中世の館(たて)」として「北海道遺産」に登録される中世の山城。松前藩の礎を築いた武田信広(武田信廣)の館跡です。標高159.1mの夷王山(いおうざん)から北東に伸びる尾根上に、和人とアイヌが混住していたと推測される館が築かれ、「続日本100名城」に選定。山頂部分には武田信広も埋葬されたという墳墓群もあります。
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