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長崎

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事なども@長崎県/雲仙市

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前の記事より続き】
2019年2月24日(日)
雲仙地獄で猫とたわむれた後、レンタカーを10分ほど走らせます。眺めの良い展望台に到着したよ。
雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
ここは仁田峠第2展望台。雲仙普賢岳と平成新山が並ぶ姿を真横から眺められるビュースポットで、今回の旅行でオットが行きたいとリクエストしていたスポットのひとつです。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
下方もなかなかの眺め。雲仙岳の裾野につづいて南島原市街が広がり、その先に有明海、という一連の地形も一望です。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
平成新山。そんな名前が付いているのですね。この生まれたての山は、1991年5月に出現した「溶岩ドーム」の最終形態です。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
それまでは、この破線が山の稜線だったと解説する説明版に引き込まれます。1991年の雲仙普賢岳噴火のニュースは覚えているわ。「溶岩ドーム」「火砕流」「土石流」なんて単語はこの時初耳!となった日本国民は多かったはず。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
もう一度、有明海と島原市街の方向を。「ほら、海に向かって不自然に樹木や家屋が無い一本の筋が見えるだろう?あれが1991年6月の火砕流が駆け下った跡」(オット)今でも立ち入り禁止区域なのだそうです。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
この↑画像は2011年にワタクシとムスメの2人で島原旅行をした際に立ち寄った「土石流被災家屋保存公園」の画像です。下方の町ではこんな事態になっていましたが、住民は全員避難済みで犠牲者が出なかったのが幸い。(この家屋は噴火の後の土石流で埋まった物)

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
仁田峠第2展望所を離れ、次は雲仙ロープウェイに乗ってみよう。より一層、雲仙岳に近づけそうだから。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
住民の被害者は出なかった。けれど、火砕流発生で43人が死亡しています。警察、消防、報道、火山研究者、送迎を担ったタクシードライバー。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
オットの知人もその43人のうちのひとりです。ここではX氏としましょう。親しい仲とはちょっと違う間柄。今も存命であったならば、再会時には「やあ!こにゃくうオット君、元気だった?」的挨拶を交わしただろう、そんな距離の人だと想像してください。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
ロープウェイ山頂駅舎を出ると展望所があり、妙見岳山頂まで歩いて登れる散歩道も整備されています。登ってみよう!

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
展望所からの溶岩ドーム跡。(平成新山)いまだに薄っすらと噴煙が昇り、荒れた山肌が生々しい。30年前の噴火なんてほんのさっきの出来事のようだ。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
てっぺんの、あの突起は?偶然にできたのかな。まるで海に向かって祈る石仏のよう。

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
オットは、今回の旅行でX氏が命を落とした普賢岳を確認したかったのでしょう。事故現場は立ち入り禁止区域だけど。(近年は、地元町内会でつくる協議会が「被災遺構」として整備する計画があるそうです)

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
妙見岳山頂は神社になっているようだね。オットにX氏の死について訊いたことがある。残されたご家族の悲しみは計り知れないし、人生を全うできなかった無念は察するに余りある。「でも彼は最後の最後、その刹那まで、言葉通り’命を懸けて職務を貫いた姿’のままで落命していたそうだ」(オット)

雲仙仁田峠から普賢岳を/30年前の事@長崎県/雲仙市
己の天職に忠実であろうとしたX氏。オットは心の中でX氏を思って合掌していたことでしょう。
【つづく:原城跡

平成新山

「平成新山」の情報はながさき旅ネットで。平成3年5月20日初めての溶岩ドームが出現して以来、実に13の溶岩ドームが誕生しました。ドームは成長とともに幾度かの崩落を繰り返し、その崩落の際に引き起こされたのが火砕流で、尊い人命がたくさん奪われました。しかし現在、噴火活動はようやく収まり溶岩ドームも雄大な景観を持つ雲仙岳の一部となりました。 島原市は小浜町とともに、最初の溶岩ドームが出現して5年目を迎えた平成8年の5月20日に、このドーム部分を「平成新山」と名付け、長く続いた災害と新たな復興の記念としました。 平成新山の標高は、平成7年6月の1488メートルをピークに、現在はやや縮小して1482.7メートル(国土地理院火山基本図より)です。

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2 Comments

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30年ですね

ふわり  

2021-01-31 06:14

専業主婦時代だったので、テレビにかじりついてこの痛ましい事件を見ていました。お知り合いがいたとはオットさんもつらい記憶として残っていることでしょう。記憶に難のある私ですら、木曽御嶽山の噴火とともに深く心に刻みつけられていますから。
火砕流の痕はあんなにくっきり残っているんですね。その後、社員旅行で雲仙温泉へは行きましたが、こちら方面はスルーでした。今でも気が重くて、旅行先には選べずにいます。

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こにゃくう
To ふわりさん

こにゃくう  

2021-01-31 18:21

コメントありがとうございます。オットも、いつか慰霊にと思いつつも長い間訪問できずにいたのだと思います。火砕流、土石流が流れた筋は、まだ安全ではないので何も手を付けられないままです。この筋が30年経っても生々しくてドキリとしました。
被災した土地って、旅行先に選んでいいのだろうか?と悩みますよね。

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