一乗谷朝倉氏遺跡/中世日本が埋まってます@福井県/福井市
【前の記事より続き】
2019年12月8日(日)
石川県山代温泉べにや 無何有をチェックアウト。1時間ほど車で走ると、戦国大名朝倉氏の遺跡があります。今日はまず、ここの見学から始めよう。
朝倉義景は武士だけど公家のように豪奢な暮らしをしていた地方豪族。不遇の将軍・足利義昭をホームステイさせたりもしちゃう繁栄ぶり。
最後は織田信長に襲われて、自慢の城下町が焼失してしまうまでが一連の朝倉物語。戦国ドラマや小説で定着しているお約束のストーリーです。
1573年に燃えてなくなってしまった朝倉氏の城下町、一乗谷を復原。そこを見学できる、という施設です。ガイドさんに解説をお願いして巡ります。
この遺跡の凄いところは、掘ったら焼失する前の町の跡が出て来たこと。昭和40年代、田んぼを大きくしようと掘ったところ「これ、朝倉の焼けた町の跡なんじゃ?」みたいなのが次々と現れたんだそうです。まるでタイムカプセルの蓋が開いたように・・・
この、石で組まれた3つの四角はナニでしょう?
ガイドさん「トイレです。3つ並ぶほど大きなお屋敷だったということですね」トイレ跡は無数に見つかるんだそうです。いっぱいあるって、衛生的で便利な町だったのかしら?
復原された井戸。なんちゃって井戸をそれっぽく作ったわけではなく、井戸の跡と判明した場所に、正確に造ったのだそうです。「襲撃されて、井戸に大事なものを隠したのでしょう。中から色々な物が出てきます」(ガイドさん)信長勢に襲われた日のパニックが見えるようです。
(出土品は朝倉氏遺跡資料館に収蔵)
この井戸には滑車が付いていますが、これもテキトーにくっつけているのではないそうです。「井戸の中から落下した滑車が見つかりました。大きさ、素材そのままに復原して付けています」(ガイドさん)
あまりにリアルな街並みが造られているから、てっきり「日光江戸村」レベルのテーマパーク的アトラクションなのかと思っていた自分、謝ります。溝の跡が出てきたところには排水溝を、建物の柱の穴が見つかったらそこに同じサイズの柱を立てる・・・という地道、かつ正確な復原にこだわってこの町並みを築き上げたんだそうです。スゴイ!
「通りは真っすぐに見えますよね。でも見通し難くしてあります。防衛のためですね」(ガイドさん)遠見遮断方式(トオミ‐シャダンホウシキ)というそうです。
石垣の跡に従って壁が復原された時、学者さんたちは「をを!これがリアル遠見遮断方式かっ」ってシビレたんじゃないかしら。日本で見れるのはもはやここだけだと思うもの。
(↑の家の壁から先の道が見えない。でも向こうからこっちは見えている)
ガイドさん「瓦は発掘されません。よって、町民の屋根は瓦ぶきではなかったと推測しています」
基礎や石は残っていても木造の部分はありませんから、建物の雰囲気等は1500年代の「洛中洛外図」を参考にして再現したそうです。
ガイドさん「この家からは下半分が割れた大甕がいくつも出てきたので、何の商売をしていた家かがすぐにわかりました」
染もの屋さん。紺屋と呼ばれる職業のおうちだったって。なるほどー。ポンペイ遺跡に通じる面白さがありますね。染物作業に必要な井戸は家の中。作業スペースも必要なので、生活空間は狭かったようです。
トイレは外。昔はお約束ですね。「(木製の)金隠しが落ちていました」(ガイドさん)
金隠しは入口側にありました。用をたす人も入口側を向いて使用していたとおもわれます(ガイドさん)
こちらのお店は「お茶碗屋さん」という設定。(何屋さんだったかの情報が見つからなかったらしい)
このお店の玄関に置かれた大きめの石。この場所から出て来た石そのものだそうで。・・・ということは約440年前の踏み石!
お茶碗屋さんと道路を挟んでお向かい側が武家屋敷群。武家屋敷のうち1軒だけが復原されています。「中世では、町民と武士の住居区は離れているものです。ところが、一乗谷は町民と武家が密接です」(ガイドさん)
3代貞景の頃には政情が安定して平和だったということでしょう。武士だってお店が近い方が便利ですからね」(ガイドさん)
都のモードも届いたという平和な地方都市に、突然襲撃掛けた織田信長め。住むところを無くしたこの町の人たちはどこへ行ったのだろう・・・
北の京と呼ばれる町が灰になってしまった原因って、やっぱり殿の朝倉義景に政治のセンスがなかったせいかなあ。
NHK大河「麒麟がくる」でユースケ・サンタマリアが演じた義景。武士なのに貴族気分で優柔不断なバカ殿ぶりが説得力あったわ。(ガイダンス室にあったジオラマです。面白くてエンドレスで見ていられたw)
町民と家臣が暮らすエリアと川を挟んで朝倉義景の館跡があります。一乗城山を背にして、エライ人たちが暮らした場所が広がっています。
唐門。朝倉館の門として最初からここにあった門ではなく、移築した松雲寺の山門として豊臣秀吉から贈られた門です(ガイドさん)
「今は町並み復原も進んで、こうしてガイドして紹介できるほど形になりましたが、最初はこの唐門が建つだけの遺跡だったんです」(ガイドさん)がんばりましたねー。この唐門だけでは観光客呼べませんよねぇ。
ガイドさんの案内で、館跡が俯瞰できる高台へ。庶民家庭より大きい井戸がある。中庭もあるなあ。大きな館だったのがよく分かります。
ワタシのように知識がない観光客でも、館の様子をイメージできるレベルにまで整備するのは大変だったでしょう。「昭和40年代、この館跡は農地と荒地でした。発掘するのに2mも土を取り除いたんです~」(ガイドさん)
山沿いの高台を進んでいくと、朝倉義景の側室小少将さんのお屋敷、諏訪館跡。今は庭石しか残っていないけど。この庭石の修復度が凄いなあ、とワタシは感動したのですけど。
義景さん、京都風で自慢の庭だったのだろうね。朝倉一乗谷の文化度がとびぬけて高かったことを実感です。
日本のポンペイ遺跡という喩えもあながち大げさではないわ。天正元年(1573年)8月18日の日常生活が埋もれているのだから。
「朝倉遺跡はこの谷にまだまだ埋まっています。見つけて復原を始めたのが50年前。全ぼうを極めるにはあと70年かかるとも。120年の壮大な復原計画なんです(笑)」(ガイドさん)
それでは、再訪したら更に進捗した様子を見られるということですね。数年経ったらまた来ます!
ガイドさんと1時間のツアー。その後もじっくり見ていたらタイムアウト。朝倉遺跡が面白くて、永平寺に行く余裕がなくなりました~。大阪へ帰るムスメを福井駅に送り届けてさよなら。
ワタシとオットは小松空港から羽田へ。霊峰・白山が朱く輝く旅の終わりでした。
【おしまい:ずわい蟹を食べる北陸の旅】
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