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京都

光縁寺/新選組総長 山南敬助ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町

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前の記事より続き】
2023年9月2日(土)
京都で新選組に縁あるスポットを巡る旅やってます。島原 角屋→壬生 旧前川邸。次は光縁寺へ。
光縁寺/山南敬助ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
京都の他のエリア同様、壬生も小さなお寺があちらにもこちらにも点在しています。その中でも光縁寺がちょっと特別なのは、新選組総長 山南敬助氏ほか新選組ゆかりの方のお墓があること。

光縁寺/山南敬助ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
『見物・見学はお断りします。』に、えっ!と思ったものの…「弔いの心が無いなら来ないで」という意図だったようです。強めに注意喚起しないといけないような事態が過去にあったのでしょう。ワタクシどもは山南さん他新選組ゆかりの方々に合掌するために参った者です、おじゃましまーす。

光縁寺/山南敬助ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
江戸初期1628年創建の光縁寺と新選組のご縁についての案内が掲示されていました。『当寺の門前近くに新選組の馬小屋があり、隊士たちが往来していた。その中に山南敬助もおり、当寺の紋と山南家の家紋が同じこと、住職が山南と同じ年齢だったことから親交が生まれた。』といった経緯だ、と。インテリジェンス山南さん。ご住職と知的な会話が成立するのが心地よかったのだろうな。新選組内では気心は合っても話題レベルが合う人は少なそうだもんね^^;

光縁寺/山南敬助ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
山南さんの紹介で、切腹した隊士達の埋葬を頼むように。そして『三人目には山南自身が弔われた』という記述が悲しい。山南さんは脱走の罪により、前記事で訪問した前川邸の座敷にて切腹します。

光縁寺/山南敬助ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
山門をくぐるとセンサーがあるようで、すぐにご住職が出て来てくださった。ご供養に100円/ひとり。案内書をいただいて「墓地に隣接して住宅がありますのでくれぐれも声は控えめに」といったアナウンスを受けます。強めな注意書きとは異なり、穏やかなご住職なので心配無用よ。

光縁寺/新選組総長 山南敬介ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
本堂の右側を廻り込むと墓地です、とご案内いただく。ああ、この墓地は京福電鉄の線路に接しているんだね。画像の塀の向こうとマンション&住宅の隙間をゴトゴトと呑気な音を立てて嵐電がゆっくり進む。

光縁寺/新選組総長 山南敬介ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
かわいい花々が足元に。鬱蒼として禍々しいイメージの墓地と異なる明るい空間で良いわね、山南さん。ブロック塀を背にして一列に並ぶ新選組関連の皆さま方。なお、明治40年に嵐電を敷くので墓地(土葬だった)を移してここに並べたそうです。嵐電線路は墓だったんかー!

光縁寺/新選組総長 山南敬介ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
ああ、こちらが山南さんのお墓ですね。はじめまして。南無…。墓石にはところどころに崩落部。慶應元年1865年から158年も経っていながら、なんとか姿を保ってくれているね。

光縁寺/新選組総長 山南敬介ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
左に続く隊士のみなさん。どなたのお墓なのか判読してもよかったのかもしれないが、それぞれの方のこの世での姿のような気がしてジロジロ見るのも失礼なので各々は確認せず。ご住職からいただいた案内書によると隊士28名が弔われ、記録として過去帳が残っているそうだ。

光縁寺/新選組総長 山南敬介ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
そんな新選組コーナーの中、別格の墓碑。こちら様があの『真明院照誉貞相大姉』さん!戒名から女性だと分かるのだけど、過去帳では『慶應三年四月二十六日 沖田氏縁者』となっている方。「コレ、沖田総司の彼女じゃね?!」が推測班の説その1です。『沖田氏』って沖田総司本人のことなのか、縁者ってどーいう関係なのか?過去帳以上のヒントは一切なく、長年ナゾのままの真明院さんです。彼女は過去帳だけの埋葬者だったのですが、光縁寺の住職さんが昭和に墓として形にしたものです。(『大坂 酒井意誠吊』大阪の酒井意誠が弔った、の明治期の追記も近年は考察ヒントのひとつに)

光縁寺/新選組総長 山南敬介ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
左サイドに永遠のナゾワード『沖田氏縁者』が刻まれている。当時の住職さん、フルネームで過去帳に書いていてくれたら全沖田総司クラスタが悩まなくてよかったのに~ぃ。
過去帳は見れなくても、こうして墓石を前にするとファンどもは「いや、コレちゃうよ」とか「縁者って曖昧過ぎやん」とか墓地で侃々諤々が始まってしまうのだろう。それで背後の住宅からウルサイ、と苦情くる流れかな。ヲタク我を忘れがちw

光縁寺/新選組総長 山南敬介ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
ワタシのささやかな知識だけど、江戸期に於いては戒名に「院」を付けられるのは武家以上の身分ある人限定でした。「大姉」の位号もです。それなりの身分ある女性だったか。または「沖田氏」がたくさん戒名代を払ったのかしらね。いつか彼女のプロフィールが分かる資料が発掘される日を待ち望みます。

光縁寺/新選組総長 山南敬介ここに眠る@京都市/下京区四条大宮町
新選組に嵌り出した小中学生のワタシは「彼女いなかった説」を信じようとしていたことを真明院さんの墓前で思い出した。今は「25歳で亡くなるまでチェリーボーイは酷過ぎだろ」と考えられる真人間になりましたw
【つづく:八木邸へ

光縁寺(京都府/四条大宮・壬生)|営業時間・アクセス|るるぶ&more.

光縁寺(京都府/四条大宮・壬生)|営業時間・アクセス|るるぶ&more.

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