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神奈川

ういろうの城in小田原①@神奈川県/小田原市

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前の記事よりつづき】 
早春の陽気に誘われて、神奈川県曽我梅林で梅を見る。続いて北条氏の城下町、小田原へ参りました。

 
正月名物、箱根駅伝06年大会から4区→5区の小田原中継所が「かまぼこの鈴廣」前から、不思議なお城前に変わったのはご存知でしょうか。(復路の6区→7区は変わらず、鈴廣前)

不思議な城とは失礼な。これは小田原に500年続く老舗の薬屋さんだ。ついでに薬屋さんだけど菓子屋さんなのだ。どっちなんだ どういうことだ…ということで、駅伝中継でたすきを繋ぐシーンでチラチラ見えるこの城に行ってみました。

入城~。『う い ら う』いや、ういろうですから。社名が「ういろう」なんです(株式会社 ういろう
菓子屋は菓子屋でも、この店はういろう屋さんなのでした。今やういろうは名古屋名物の印象が定着しちゃってますね。その他、全国各地にご当地ういろうがあるでしょ?でも、この店のパンフレットによると「当家がういろうの本家。ヨソのは模倣品でござる」と、強力に訴えておられる。

「ういろう」って実は人の姓なの。この店の経営者一族さまの姓が外郎(ういろう)さん。
現社長さんの名前ったら「外郎籐右衛門康祐」だし。 かっちょいい。

ハイ!ここから非常に長文のういろう解説がはじまります。

長いです。自分でも呆れます。なので、サクッとスルーしてくださっておっけーです。
この遥か下↓のほうに(=^エ^=) のマークが出ますから、そこまですっ飛ばしちゃって。

お付き合いくださる奇特な方、ありがとうヽ(T∇T)ノ(号泣)覚悟してお読みください。。。。

外郎さんの先祖はもともとは中国からの帰化人。中国で千年つづいた名家で、1368年に元が滅んだ時に日本に亡命してきたそうで。
京都に来て、先祖伝来の霊薬が珍重されて朝廷の典医になられる。

霊薬には「透頂香(とうちんこう)」という正式名がつけられたが、外郎さんちの製薬だからこの薬のことを「ういろう」と呼ぶように。

外郎さんちは中国のセレブだったわけだし、朝廷でも海外のハイソサエティなカホリをふりまいていたのではないだろうか。
海外のお客様が朝廷に来た時は「おもてなしは外郎さまの流儀が一番よネ」っつーわけで接待担当も引き受け、外郎家ホームメイドのお菓子を提供していました。
それが米粉、餅粉、黒砂糖(orあめ、みつ。当時は白砂糖がないから)で作ったお菓子だったの。

外郎さんが作るお菓子だからこれまたお菓子も「ういろう」って呼んじゃった。アバウトすぎるだろう、室町時代の朝廷!

      
ああ、長い。誰が読むんだ、こんな長文。
そして京都の朝廷にいた外郎さんご一家と小田原との繋がり。ふう。やっと近付いてきた。

時は流れ1495年。相模の国で北条早雲が小田原城を奪取する。
外郎家は「小田原で外交役として働いてくれない?」と早雲に誘われてはるか東国の小田原に引っ越してきます。
朝廷でセレブやってたのに、いったい外郎家に何があったんでしょう。
早雲といえば下剋上の代名詞みたいな人ですから、ニューウェーブの早雲に仕えるようになった経緯にどんな事情があったのか、こにゃくう的には気になる所です。
(お店のパンフにもそこんとことは書いてないし)

小田原北条はご存知の通り、豊臣秀吉に滅ぼされるわけですが、
為政者が替われど外郎家はそのまま小田原で暮らし、戦国・江戸時代を通じて薬屋さんとして存在し続けていきます。

1700年代になって。江戸時代の名歌舞伎役者・2代目市川団十郎との縁でこの「ういろう」は日本中に知れ渡ります。
外郎さんちの薬のおかげで声の病が治った、この稀代の歌舞伎役者はお礼にとこの薬をネタに仕込んだ歌舞伎を創作します。
それが今でも上演される「外郎売」(ういろううり)という歌舞伎。
   

 
はい、ここから外郎売と曽我物語の話になりますよー。まだ間に合いますよー。ズイっとマウスをスクロールして下さってよろしくってよ。

前記事でこにゃくうが訪れた曽我の里。ここは実際にあった仇討ち事件の主人公の育った場所として有名です。

平安末期、鎌倉時代の初め頃。領地争いが原因で父親を殺害された幼い兄弟がいてまして
曽我十郎兄ちゃんと曽我五郎弟くん。若者に成長したた兄弟が17年のカンナンシンクの後、源頼朝の家臣に成り上がっていた敵を討つという事件がありました。
中世の日本人には大受け、かつセンセーショナルな事件だったらしく、以後、長きに渡って能や人形浄瑠璃の人気ネタになります。
忠臣蔵と並んで日本三大仇討ちといわれる所以です。


さて、外郎さんちの薬ういろうで病気が治った江戸時代の団十郎は、この実在した曽我兄弟が「実は、外郎売りの行商の姿に身をやつして敵を探してた」という設定の歌舞伎を創作しました。

外郎売りの売り口上。活舌あざやかな長セリフの小気味良さが見どころです。セリフがそのまま薬のういろうのCMそのものです。アナウンサーやお芝居を志す人は発音、発声の練習用に今でも必須なんだそうで。(どんなの?と思ったらコチラで聴けます。上手な活舌って聴いてておもしろい)

小田原の郊外、曽我の里の誰もが知ってる人気ストーリーの登場人物を 小田原のういろうに絡めて作ったこの歌舞伎。うまいこと繋げたなあ、と感心するよ、団十郎。
江戸で人気になり、繰り返し上演されたようですよ。それでういろうは皆に知られた薬になったみたい。

↑のこにゃくう解説で言えば、外郎さんが日本に来たのが1300年の話だから、曽我兄弟が生きてた1200年にういろうって日本にまだ無いんだけどね。ま、そこはお芝居だからね。大人の事情でねっ。

(株)ういろうのパンフレットによると「実際に薬を売り歩いていた事はございません」
だそうで。薬は実在するけど行商売りなんて当家がするわけないざーます・・・の外郎さん。
そこは始祖が中国の高官、日本の朝廷にも仕え北条にも乞われ、団十郎も顧客ですもの。
行商はしないざーますよね。

で!お菓子のういろうの件について
高飛…じゃなかった、由緒ある外郎家ですから江戸時代が終りを告げるまで菓子ういろうを一般に売るなんてことはしていなかったそうです。あくまで自家用ホームメイドの高級接待菓子だったそうで。
外郎家では明治になって一般販売をするようになったそうです。でも、名古屋の青柳ういろうは1659年(万治2年)には一般販売を始めてますし、山口でも福田屋という屋号が江戸時代に商売を始めています。
ウチは武家ですから商売なんてしないんざーます、といってるうちに日本各地にパチモンういろうが続出していったのね。

本家の外郎ご一家は頭にきちゃったらしく、青柳ういろう社の商標登録を巡って訴訟を起してます。(ういろう裁判)でも外郎さんは敗訴しちゃったんだけどね。
判決文で「ういろうはもはや普通名詞である」と言われちゃってます。
(株)ういろうのパンフレットの一文。(長いです。あ、今さらですね)

【商標登録 お菓子のういろうのいわれをご存知ですか】
「…(略)…外郎家の製品は外郎家の一子相伝であるから紛らわしき物に対しては諸大名も時に応じて取り締まりましたが、「ういろう」と名付けたお菓子はその後も一部地方に断続的に出歿しました。ただ、当時は菓子の名も「ういろ」または「うゐろ」または「外郎」等として、真似はしても仁義を重んじられた時代の社会環境の中では遠慮して、決して「ういろう」とはしませんでした。外郎家の在住する小田原では当然ながら、すでに外郎家のなかった京都においても、このようなものをつくる者はいなかったのです。商業道義は、ある線で守られて来たのです…(略)…」

どう?外郎籐右衛門康祐さんのお怒り具合とプライドが行間からにじみ出る文じゃない?

(=^エ^=)

やっと (=^エ^=) マークが出てきましたよ!長いういろうの話に付き合ってくださった方ありがとうございました!

改めて「おじゃましまーす」


店内。奥のガラスに「調剤室」とあるように薬屋さんです。
店内が分かれてて、女性店員さんの前あたりでういろうをはじめとするお菓子を売り、左サイドはお薬のコーナーという不思議な組み合わせの店内です。

薬サイドのショーケース内の商品群。ううむ。レトロです。


なんか懐かしいかも。

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