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セルフでファミリーヒストリー

小串鉱山・悲劇の跡地★オットの生家を訪ねる旅・その3

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      えらくのっそりなペースでやってます、この連載。
    その1その2、ともに多くの方に読んでいただいて光栄です。
    
    では、小串鉱山跡に向かって共に歩みを進めて参りましょう。

 
 
 ■峠からのスタート地点に
 こう書かれた道標が立っています。
        (右の四角い立て札)
 
 
 『 徒歩道路入り口
 
   小串お地蔵堂へ 
 
    約900m 』
 
 
 この先にお地蔵堂があるのね、   ということをインプットされた上で
 読み進めていただきたい。
 
 
 

   ■下り始めて間もなく、こんな熊笹の茂る道になる。
   オットが言う。「意外だ。こんなに道が明瞭にあるとは思っていなかった」 と。
 
  
 
の画像をご覧になって、道がどの部分かおわかりでしょうか?
 
 

  ■白いラインが道です。 歩けるように、と誰かが草払いをした後です。
   頻繁に人が入り込まない山の道は、簡単に消滅してしまう物ですからね。
 

 
 
 
 
 ■スタート地から20分程でしょうか
 
  このような道標が現れます。
 
  『 殉難の丘 』
 
 
  さらに120m奥のようです。
 
  進んでみます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  
 
  ■ここが 「殉難の丘」
 
   慰霊の為でしょう、
 
   鐘が釣られています。
 
   こにゃくう、オットも
  
   神妙な顔つきになり
 
   合掌して鐘を叩きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    さて、ここが何の場所か。
    小串鉱山について語るとき、けして外してはいけない大惨事の現場が
    この場所だったのだそうです。
 

 
 昭和12年(1937年) といいますから、義両親が住むよりもずっと前の出来事
 なのですが・・・
 
 この斜面には多くの従業員社宅と学校、精錬所があったのだそうです。
 11月11日。 山奥ですから、もう寒い時期に入っています。
 時間は午後3時。社宅では奥様たちが子供とすごし、学校にも生徒が残っている
             ・・・そんな時間でしょうか? 
 

    ■山の斜面が、広範囲に渡って イッキに崩れて来たそうです。
     地滑り。 山津波。 大量の土砂と出水が学校を、社宅を襲う。
     埋まるだけでなく、同時に大規模な火災も発生。 
     火の海と大量の土砂。 逃げる場所も無い大惨事。

    今年で73年経ったわけですが、
 の画像で認識できるように
    崩れた部分がまだ露出してます。
 

   
 
■死者の数、なんと245名!
 
 ほとんどが女性と子供
 だったといいますから
 その惨状を想像すると
 言葉もありません。
 
 
 山奥ですからね。
 
 麓の町まで駆け下って
 救助隊を呼びに行けども、
 どれほど待たなければ
 ならなかったか。
 
須坂市からの救助が登って きたのは翌日だったという  ことです。
 
 
 
 
 
 平成5年の北海道南西沖地震。 奥尻島で津波被害が甚大だったあの地震。
 あの時の死者が230名でした。 共に、悲劇のひと言では括れない規模です。
 私の立つ、この地の下にも埋まってしまった当時の家屋が眠っているのでしょう。
 


  ■73年前ですから「あの山津波で母を亡くした」「兄弟が犠牲になった」という
    ご遺族は高齢となられても、今もご健在です。
 そんな方々の追悼の場となるように、と建立されたのが先ほどの小串お地蔵堂
 
 草しかない山の中に建造物がありますね。 あれです。 行ってみましょう。
 
 

 
      ■厳しい風雪にもしっかり耐えられそうな頑丈な地蔵堂です。 
       慰霊碑も立派なものです。 休憩できるように、ベンチとテーブルも。

    昭和46年に鉱山が閉山されて、
    家族が亡くなった地を訪れることが難しくなってしまいました。
    平成10年になって有志の方々が「小串御地蔵堂慰霊の会」を設立して、
    旧社員や関係者に地蔵堂改築と記念碑建立を呼びかけたそうです。
    1273万円もの寄付が寄せられ、12年前にこの慰霊の聖地ができました。


  ■右のお知らせを見ると、年に一度、慰霊祭を行っているのが分かります。
       (この日が7月18日だったので、翌週の開催ですね)
   組織を作る、寄付を集める、お堂周辺の整備と管理、慰霊祭を執り行う・・・
   どんな方々がボランティアでここまでの道筋を立てたのか?

      私の今回の訪問にあたり、地図を提供してくださったH氏が
       主力メンバーにいらっしゃることはすぐに分かりました。
 
            
 左の木製のお知らせ板の文字に注目 
 
この達筆は、私に地図を送ってくれたH氏の達者な宛名書き、そのままだったから。
 
 
 

  
 
  ■起きてはならない災害だったけど
   地蔵堂が建てられ
    閉山後も、その地蔵さまを拠り所に
   旧住民たちが集う。
 
 
  それがさらに整備・パワーアップされて
   悲劇と小串鉱山の存在を
   後世に伝えるランドマーク的存在に。
 
 
   犠牲者の御霊たちが
   今は無き、小串鉱山に人を集わせる
   要となってくれている。
   245人ひとりひとりがお地蔵様。
 
 
 
        そんな気分になる場所でした。
      どんなレストランでもお店でも、バシャバシャ撮影するこにゃくうですが
      ここはいっぱい撮る気分にならず、画像が少ない今記事です。
 

  ■この筆跡もH氏の美しい筆使いだ。 
  ・・・と、いうことは、道中の案内板もすべてH氏の手作りだったのだなあ。
    冒頭で我々が 「誰かが草刈りをしてくれている」 と感じたのは
   すべてH氏はじめ、小串御地蔵堂慰霊の会の方々による作業なのですね。
    慰霊祭が近いので、手弁当で草払いしてくださったのでしょう。
    ありがたいことです。 これなら多くの人がやって来れますもの。
 

  ■さて、慰霊のコーナー近くに、コンクリート製の朽ちた建造物が。
  これは「廃屋マニア」のブログ等でもお見かけできる、小串の変電所 の跡です
  かなりの廃れっぷり。 実は、こにゃくうは 廃屋好き なんです~^^
 
      潜入したい!! だが、ちょっと待て!
 
 

 
 ■PCB廃棄物~?
 
 なんか、人体にメチャ悪そうです。
 
息吸ったらいけないような気にも^^;
 
 多くのブログに
 ここの内部が出ていますので、
 この看板が立つ前は
 潜入しちゃってたのだと思います。
 
 

   ■廃屋マニアの皆様、残念ながら只今はこのようにトラロープが貼られてます。
   立入禁止の札も。 ホラ、左にはまたまたH氏手作りの「危険建物」の看板が。
 

   
 
 ■足元にはカモシカの足跡。
   
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
  ■なんだかかわいいお花。
 
 
   そんな御地蔵堂周辺を後に
 
   さらに奥地へ進みます。
 
   当連載のスローなペース
 
   長い解説に
 
 みなさま、ついて来れるかな~^^;
 
   ゲッソリじゃなかったら
 
  次の記事「その4」にも
 
  お越しください。
 
    
 
             そのうち 書きます (;^ω^A
                                            オイ、そのうちかよ~
 
                                 【 つづく 】
 
  【 2010年2月11日 追記 】
 
  最後の画像の濃いピンクのお花について。
  義母より情報提供がありました。
 
「この花はね、ジキタリスっていうの。 
当時、社宅のささやかな庭に植えて育てているお家って多かったのよ。
薬草でね、強心剤になるものだから。 お花もかわいいし。
お家はすっかり消えてなくなっても、あの頃皆さんが育てていた草花だけは
こうして生き残って、子孫を繋いでいっているのねえ」
 
  ・・・と、感慨深げに教えてくれました。
 
  てっきり高山植物の一種だと思い込んでいたこにゃくう。
  しかも「なんだかかわいいお花」ですって~(恥)
 
  なるほど。 
  医薬品も限られているから、薬草栽培も暮らしの知恵だったのでしょう。
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20 Comments

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シャコタン  

2010-12-20 22:41

こんばんは。ブログご訪問ありがとうございます。
温暖な時期に行かれたようですが、私が行ったときは霧が濃くてちょっと怖かったです。来年夏ごろにまた行ってみたいと思っています。
続きを楽しみにしております。

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週末自遊人  

2010-12-20 23:45

なるほどね~それぞれ、その土地で起きた事件や事故、災害など思い出したくない事もあるんですよね。なのに・・・この達筆の方が、立て看板作ったり、道案内的な事をして下さったり・・・素晴らしい人ですね。 すっかり、なんかの?ドラマを見てる気分になりました(笑) 早く!続き書いてネ~ん。。。☆

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fxx  

2010-12-21 01:03

廃屋、廃道、廃墟…
いいですな~寂しい感じがなんともいえない。

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mappi_999  

2010-12-21 12:56

崩れてしまった家々や学校・・・残っていれば、そして私がずっとここに住んでいたら通ったり目にしたところなんでしょうね。
鉱山自体この間のチリの事故でもわかるように危険な仕事も多かったと思います。犠牲になった方々がいて、今の私たちの暮らしがあるんですよね。

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ensyu  

2010-12-21 23:10

こにゃくうさん、酒飲みながら読んでたのですが、涙出て来たよ~
渾身のレポートですね。
H氏、素晴らしい方ですね。達筆な字に人柄があらわれてるのかも~

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まだお  

2010-12-22 11:13

こにゃくう氏、悲しいょ
真っ青の空、提灯花の紫の鮮やかさ、カモシカの足跡がまた、涙を誘うのです。

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こにゃくう  

2010-12-22 13:36

おまんさま、鉱山が閉鎖された後も、Hさんは小串のリーダーであり続けていますね。
この探検か終わったあと、1時間ほど山を下ったところにH氏がお住まいだと分かっていたので、お礼を兼ねて報告に参上しました。
70代だと思われますが、シャキッ!とした若々しい男性でした。
何歳になられても目標を持って日々過ごされている方は矍鑠としてますね。

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こにゃくう  

2010-12-22 13:41

鈴蘭5号さん、プレッシャーぽち!ありがとうございます。が、がんばります。目標、年内完結^^;
高度成長期の日本には、各地で事故や災害があったのでしょうね。
今ならワイドショーで一週間ネタになったあげく、今年の10大ニュースにも上がっていたことでしょう。当時は新聞報道があったくらいでしょうか。

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こにゃくう  

2010-12-22 14:01

シャコタンさん、ようこそいらっしゃいませ!シャコタンさんがいらした日の霧の小串の様子もミステリアスで「をを~!」って思います。でも、霧がすぐに上がってくる場所のようですから、マジで遭難しそうですよね^^;
雪が溶けたら、またいらしてみてください。ブログにされたらまた見せていただきたいです!

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こにゃくう  

2010-12-22 14:08

すーさん、軽~いプレッシャーをありがとうございます!こにゃくう、大掃除なんでほっといて、なんとかがんばりたく思います(笑)
H氏って、現役の時も行動力のある社員さんだったそうなんですが、鉱山が閉鎖されてもこうして尽力してるんですね。
彼が成してくださったアレコレはとても大きいと思います。

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こにゃくう  

2010-12-22 14:11

fxxさん、廃屋お好き?ナカマかも!こにゃくう、廃屋だとか、ボロ屋敷とか、古い建物が大好きなんですよー。探検気分でワクワクします。

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こにゃくう  

2010-12-22 14:21

mappiさん、もし世の中の流れが違っていて、今でも硫黄採掘が続いていたら…ここはどうなっていたのでしょうね。
で、mappiさんのご実家もここにあって、オットはご近所さん一家の息子っていうポジションで。
高度成長期日本の各地の事故や犠牲に、現代人は深く頭を垂れないといけませんね。

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こにゃくう  

2010-12-22 14:28

ensyuさん、ありがとう!お褒めいただいたので、いっしょに呑みたい気分です^^;
つづきもがんばりますので、また見てね~。
おっしゃる通り、H氏の丁寧で美しい文字にキチンとした人となりが出ていますね!この後、お会いしに伺ったのですが文字そのままの方でしたよ。

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こにゃくう  

2010-12-22 14:33

まだおさん、コレって提灯花って言うの~?知らなくてー。「なんだか花」とか書いてるアタシ(笑)
人はもういませんからね。提灯花が咲いて御霊を慰め、カモシカちゃんがお参りに来る山の中でありんす。

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W A X  

2010-12-22 17:19

大惨事だったんですね。
想像しても怖い!!
生き埋めとか水中とかってザワザワします・・。
70年以上経ってもこうして祈ってくれる方達がいて、災害に遭われた方達も少しは心穏やかに成仏されたのでしょうね。

廃墟・・・マニアだったんすか?? (笑)
私はその手もダメだわ~。

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こにゃくう  

2010-12-22 17:46

WAXさん、生き埋めになってたり、全身ヤケドしてたり、なのに救急車も来ないって、ねー。まあ、当時は救急車も無いけどね。
今なら考えられませんね。
廃屋、大好きなの。ふふふ…古びた生活の残骸とか見つけると妄想モードに入ります。(←ヘンですね)

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ぱんだ親父  

2010-12-23 00:21

ものすごい勉強になりましたよ。。
来年行く時はぜひ参考にします~~。。

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こにゃくう  

2010-12-23 12:29

ぱんだおやじさん、冗長な記事なのに読んでくださってありがとうございます。
また雪解けしたら行かれますか?多くの方が来てくれれば、道路も廃れないで良いことだと思います。またつづき書きますね。

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すけさん  

2010-12-23 18:06

そうですか、ここにもそんな悲しい歴史があったのですね。合掌。
そして、忘れてはならない記憶。慰霊碑の建立に尽力された皆さんに敬意をはらいます。

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こにゃくう  

2010-12-24 19:49

すけさん、まだまだ日本が豊かになる前のお話ですが、まだ存命な方もいるので、ついこの前、って思っている人もいることでしょうね。
記憶は生々しく残るのでしょう。
忘れないように慰霊碑建ててくれることは、慰めになりましょう。

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