★この記事は長い長い連載となっております。
過去記事はコチラ→その1 その2 その3 その4 注
当記事、長文になってしまいました!お時間のある時にご覧ください 2010年7月某日
この探検に先がけて、元従業員のHさんから譲っていただいた往年の小串鉱山の地図。
★の家屋がオットの生まれた家だ。青いルートを辿ってみようと思う。
この辺りは、社員の家族寮が左右に並んでいたはずだがその4記事中の画像の通り、遠望すると一面の森になってしまっているように見える。 オットの生家跡はどうだろうか?
なんとまあ。 建物の基礎すら森に呑み込まれている。
あるのはHさんが立ててくれたらしき看板のみ、か。ほとんど古代遺跡状態だ。残念。
負けずに南下してみよう。
ハイ、この有り様\(_ _;)/
地図では両脇に5軒で一棟になった平屋建ての社宅が並んでいた所。すっかり何も無い。
「その割には道がしっかりあるよねえ」 山登りを趣味とするオットが言う。
滅多に人が通らない道はあっという間に消滅するものなんだと
後から判明した理由はこうでした。
この探検が終了したその足で地図や資料を郵送してくれたHさんのご自宅へお礼を申し上げに参上したのですが、その時Hさん曰く
「今月は年に一回の小串地蔵堂の慰霊祭があるんだ。その後に、小串中学校の同窓会が行われる予定でね。卒業生たちが学校の跡地に赴くだろうから通行できるようにボランティアの人たちと道の草払いをしたんだよ」
希望を捨てず、Hさんとボランティアさんが復活させた道を行く。
途中、一箇所だけ屋根が見えた。近寄りたかったけど樹木に阻まれて不可。
森が途切れた。そこに
潰れて屋根だけ残った廃屋発見。地図でみると「労組事務所」かと。
Hさん達が最後の最後まで残務整理をした建物なんだろうな、と思う。
ここからスッコーンと広いだけの風景になる。
ナニコレ。たぶん・・・小串小学校、中学校、幼稚園があった場所だよ。
たくさん並んでいた社宅も、それなりに大きな建造物の小・中学校もなーんにも、跡形もないのはナゼですか?・・・とHさんに質問した。
「小串鉱山は北海道硫黄が経営していたけど、土地そのものは国有地だったんです。閉山した後は、もとの更地に戻して返還せよ、と。そういう国の命令だったんですよ。だからできる限り撤去されちゃったのです」
オット実家のアルバムより発掘。往年の小串小学校。
後方の木造建物が小串小学校らしい(義母の証言)昭和な幼児はオットです。後ろは義父。
「なんにも残ってないね~」と言いつつ、諦めきれず奥の方まで彷徨うオット。
おーい、戻って来いよ~
この辺りの住宅地はこんなだった、という画像がコチラ↓
人物はオットのお爺さん。つまり義父の実父(すでに他界された)
息子の就職先と新婚家庭を見に、遠くから訪ねてきたのだろう。
彼の後ろ、坂道にそって並ぶ建物が社宅群だ。
そしてこの坂道こそ、こにゃくうとオットが掻き分けて通ってきた森の道の往年の姿ということになろう。
オット爺様の横に写る川。
その川が今やコレ! 小川ですよ~お。 山から大量の土砂が長年に渡って流れてきて、こんなに埋まっちゃった、と。そう想像するのです。
がっくりしている場合じゃない。生家跡はこの小川の先だ。探検隊、進みます!
人が来るのはまず、この小川のところまでだろう。この先は草払いもまったくされていなくて、道も消滅している。地図から、道の形跡を読み取りつつ進む。
記録を残そうと途中、何枚かデジカメを撮ったのだけど、どう撮っても一面緑色の天地も解らないむちゃくちゃな写真になってしまったわい^^;
こんな道なき森を行く。ここも当時は社宅街だったはずなのに。
で、生家はどこだー! まだ着かないのかー!
ずっと先を行ってしまうオットの黒い背中を見失わぬように、夏草と格闘しながら進む。
オットが 声を遠くへ飛ばすように「ホーイ、ホイッ!!」と、何度も叫びながら進んでいる。
マズイ。オットが熊を警戒している。出るかも。出てもおかしくないよね
ホーイ、ホイ!こにゃくうも叫ぶ※ホーイホイは熊に聴かせて人間が近づいたことを熊さんにお知らせするサイレン代わり
隊長!軽トラの遺跡発見しましたーっ 。接近を試みます!
ひ~っ。荷台上に新たな森が形成されようとしていますっ
N 1300 って。コレ、日産の軽トラックでまだダットサンの名称で販売していた頃の車だと思います。スタイル的に1970年代っぽいから、閉山になった際に放置していっちゃったのでしょうね。40年近くここにいるのか、君は!
さらに進みます。
絶望的な森を掻き分けたその先が、ぽっかりと太陽の光が差し込む、ちょっと開けた土地になった。
オットが歩みを止めて言う。
「見つけた」
「コレが俺が生まれた家だ」と。
壊れちゃってるね。たぶん雪で潰れたんだね。
でもさ、他の家は土台もろとも消滅してるのにオットの家だけは壊されずに最近まで建っていた、って。そういうことだよね?ラッキーだったんだね。屋根だけでもあるじゃん。
子供用のイスだよ。パイプだけだけど。 オットが使っていたイス?
「ちがうだろ~」 でも、そうかもよ。

お隣の棟は屋根が健在で
残っているね。 ちょっと山沿いだったから、それだけでも崩壊が後になっているのかもね。
オット一家が住んでいた当時の写真がコチラだ↓
ワカメちゃんカットの幼児はオット。いっしょに写る婦人はオットのおばあちゃん。
はるばる小串まで孫の顔を見に訪問してくれた時の写真だろう。
オットはおばあちゃんが大好きだったそうだよ(もう他界された)
さて。地図を見ると、オット一家の奥に「職員クラブ」という大きな建物がある。
いわば会社の迎賓館であり、社内パーティの会場等の役目をしていたらしい。
オット実家のアルバムにも頻繁に登場している社員クラブ。山の中にあるのになかなかの豪華施設だ。自宅のすぐ前ゆえ、写真を撮る際にバックにすると映えたのだろう。
義両親や会社の人たちは、山中に不釣合いなその豪華さゆえ自虐的に狸穴御殿(まみあなごてん)と、そう呼んでいたらしい※画像は赤子のオットと、だっこする義父
狸穴御殿は、けっこう頑丈だった。コレ↓

まみあなごてん・・・じゃない、職員クラブの現在の姿。がんばって接近。
2階は木造モルタル造り、1階がコンクリート製だったようだ。ゆえに、堅牢な1階部分だけが残ったのだろう。
洗面所だろうか?鏡が並んでいるのがわかるよね。探検後にお会いしたHさんに
「なぜオットの家とその隣の社宅、そして職員クラブだけが取り壊されなかったのですか?」と訊いた。
「あの場所は最奥地で途中、他の家屋が途切れるでしょう?道も、より崖に沿うように細くなる。そんなわけで、こんな奥地の分はまあいいか、と。そういうことになったんじゃないかな」(H氏)・・・とのこと。ラッキーだったんだね。オットの家
「それにしても」と、Hさん。 「あそこまで行きましたか!私ですらここ4年ほどは行ってない。たぶん・・・あそこまで踏み込んだ人間は君たちだけかもしれない。ほら、廃屋とか好きな人いるでしょ?そういう人も来てないんじゃないか?ブログか何かに出したら?」
いや~ (^~^;)ゞと笑いつつも、このブログの存在を照れくさくて言えなかったこにゃくうをお許しください、Hさん^^;
そしてHさんの奥様がおっしゃる。「建物の中にね、出るわよ、熊。熊のねぐらになっているみたいよ」
ひ~
やっぱり~
こんなブログを見て、行ってみたくなった方がもしいたら・・・自己責任でね。出るからね。
ホトトギス鳴く 小串の森の奥の奥。画像だけではもったいないので動画を作りました(注・音が出ます)
冬の今。小串は、オットの生家は、狸穴御殿は・・・みんな雪の中でしょう。
オットの生家を訪ねる旅が終わりました。朝7時に歩き出して、毛無峠に止めた車に戻ったのが12時。5時間も~。でも!ああ、楽しかった。
空には模型飛行機が、軽いエンジン音を立てて飛行しています。「毛無峠はね、電線が無いでしょ?樹も無いから落下しても引っかかってしまうということがない。私有地に落ちて取れなくなるということも無い」(H氏)
だから模型飛行機ファンには人気スポットなのだ、とHさんに教わりました。
オフロードバイクの人々にも有名なスポットらしい。ジャリジャリの未舗装道、無人の地、というのが好都合なのかな?このシリーズがご縁でコメントいただいたパンダ親父さんもバイクで行かれたそうだ。
昼には多くの人が思い思いの趣味を満喫しに小串目指していらしていたよ。
誰も来ない寂しい場所になってしまわなくて、これはこれでいいよね、と思う。
女性ライダーさんが、彼氏さんに訊いている。「わー。あの鉄塔なに~?」「昔、ここに炭鉱があったんだよ」
・・・いや、硫黄鉱山ですからっ(´д`)
(鉄索は硫黄を下の町まで運搬し、時には下界の生活用品、食物を小串の町民に運んでくれた)
小串よ、オットと義両親がお世話になりました。ありがとう。
※小串鉱山跡行きを企画される方がいらしたら老婆心ながら。1年を通じて毛無峠は濃霧の発生が頻繁です。午前中良くても午後に視界不良になることも。この日は、天気図を睨んで天気の変化はないと判断した稀な晴天日のひとつでした。道を見失うと危険です。天候気候には細心の注意と判断を。
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