福島県会津若松を旅行中。観光用巡回バスが走っています。
これに乗ってお墓参りに行こうと。新選組局長 近藤勇氏の。
レトロな会津若松七日町。ボンネットバスがよそ者にはかわいい。
ボンネットバス、ハイカラさん号に乗って奴郎ヶ前で下車。
どってことない住宅地に降り立ったのだけど、さっそく親切に道標があり、迷いません。
墓まで300mか。新選組オタクなこにゃくうのためにこんなところまで付き合ってくれるオット&ムスメよ、ありがとう。かあさんはうれしいですよ。
近藤勇氏は戊辰戦争さなか、千葉県流山で官軍に捕まりまして、東京・板橋の刑場で斬首されました。首の無い遺体は、親族が必死の思いをして菩提寺(東京三鷹龍源寺)に運び、今も墓があります。
じゃ、首の方はどうなったか?東京・板橋の刑場から遠く京都三条河原まで運ばれ、晒首になったわけですが、その後の「首級」の行方が正確に掴まれていない。濃厚な線として「愛知県岡崎市の法源寺に首が埋まっている」説があり。
もうひとつの説が「ここ会津若松の天寧寺に首が葬られている」です。
「斉藤一が京都まで首を奪取しに行って、ここに埋葬した」なんていう、マニア大喜び♪の妄想説もあるわけですが・・・(NHK大河ではその線でした)
司馬遼太郎先生の作品「燃えよ剣」では「会津若松で戦闘中の土方歳三が近藤の最後を知り、若松の愛宕山の中腹をえらんで墓碑をたてた」となってます。そんな「参り墓」説も考えられている、ここ会津・天寧寺です。
ヒーローの最後には、ミステリアスなエピソードがつきものなのです。
って、さっきから能書きタレてるけど墓にはいつになったら着くのよ~!(`へ´メ)(ムスメ)
もはや「寺の境内」の様相をはるかに逸脱して、山中だわ、こりゃ^^;ムスメよ、もう少しだよ、きっと・・・
300mって、標高300mってこと?
「すぐ」と但し書きされた道標が現れました。参墓者の困惑と疲労を見透かしているようだわー。ほんと、急な山を登ってやっとここまで来たよ!
あった~。
こんな山の奥に建てなければならなかったのも理解できるわ。官軍サイドに見つかるような、ひと目につきやすい場所に建てるわけにはいかなかったのでしょう。
南無・・・(-人-)
(この訪問日の一週間ほど前がご命日だったのです)
隣に建つ「歳進院殿誠山義豊大居士」は土方歳三氏の戒名。
土方の慰霊碑が並んでいる訳です。土方歳三の墓(参り墓)は東京・高幡不動にあります(過去記事参照)
オット&ムスメよ、かあさんの悲願達成に付き合ってくれてありがとネ。
下山途中、「墓はまだまだ先ですか~?
」と困惑と困憊した人に出会う f(^^;) ヤッパリ
さて、会津若松を後にして今宵のおたのしみ、温泉宿に行きましょう。
夜になるとね、テンが遊びに来る宿らしいよ。
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