5.松島や、ああ松島や・・・★円通院(宮城県松島町)
【 前の記事よりつづき 】
2015年3月某日
家族3人で気ままな仙台への旅。
宿泊したのは、コンフォートホテル仙台東口。
仙台駅からのアクセスも良く、
機能的な設備でしたよ。
コンフォートは米国ではポピュラーなビジネスホテル。
そのワールドワイドなネームバリューの為か、
海外からの宿泊者が多かったな。
また仙台に行くことがあったら使うかも。
ホテルをチェックアウトして
各々、興味の対象へと散る我ら
ワタクシは松島を目指すべく仙台駅から仙石線乗車
オットは宮城県内の酒蔵見学へ
ムスメは仙台市内のジョジョの聖地巡礼へ
仙石線って石ノ森章太郎でラッピングされてた。
そっか。
石ノ森氏って宮城県が出身地だったね。
仙石線の車窓は楽しい!
おだやかな海に浮かぶ小島が次々と現れる。
波が穏やか、というかほとんど無い海。
神奈川県出身者のワタクシにはとっても新鮮な海の景色だ。
着いたよー。
松島海岸駅。
今日は平日だけどお天気が良いので
結構な人々がこの駅で下車しました。
イイ感じのローカル加減の駅前。
有名観光地の玄関口なのに意外にも素朴だ。
さて。
どこを目差そうかー?
とりあえずノープランなひとり旅。
なんか
寺、現る。
「円通院」
いい雰囲気っぽいから入ってみよっと。
あら。
なんだかお庭がキレイ。
ずずーっと奥に進むと
長い石段のアプローチ。
相当に長い年月を経た石段だ。
擦り減り方が尋常じゃない。
その先にあるコチラ「三彗殿」(さんけいでん)が円通寺の心臓部なんだそーだ。
…って、そーいう風にパンフに書いてある。
ガラス張りになっていて
太っ腹なことに、中が見えるようになっている。
この三彗殿って、伊達政宗の孫、光宗君の廟なんだそうだ。
表はお地味なのに
江戸時代初期の物とは思えない保存状態の良さなので
「どーいうことだ、コレ?」
と、予備知識ゼロのワタクシ。
ぐっと惹きつけられる。
光宗君はそうとう優秀な嫡孫だったそーな。
地方の大名に名君、しかも伊達家。
恐れた幕府に毒殺された説があるらしい。
享年なんと19歳。
お若くて優秀なのにお気の毒な・・・
光宗君のパパ、忠宗氏が
早逝の息子の為に技術の粋を尽くしてこの廟を造る。
さらに
西洋的な洋バラ、水仙、トランプの模様などのモチーフで飾っちゃう。
鎖国中の当時に於いてコレは対幕府的にはNGだよね。
…ということで
この廟は350年間秘密にされ、開けられることが無かったんだそーだ。
一般公開も1985年から。
へー!
だからこんなに保存状態がいいんだね。
皮肉だねえ。
人のお墓、しかも悲劇のプリンスの墓を撮影するのは気が引けるので余り画像ありませんが、
とても煌びやかで美しい。
ついでに
三慧殿の右サイドに「殉死」したという家来たちのお墓が並んでいて
ちょっとショックだった。
江戸の始めは君主が死んだら側近たちは死なないといけなかったのよねえ。
森鴎外の『阿部一族』で読んだもん。
(1680年くらいには殉死は禁止されるんだけど)
※画像↑は剥ぎ取られた「釘隠し」
剥がされた跡があるでしょ?
太平洋戦争中の金属供出で、こんな大事な所の金属まで剥がしてたそうよ。
コラ!バチあたりめ~
「大悲亭」という名の寄棟造かや葺きの建物が本堂。
およそ、お寺の本堂らしくない風情だなー。
それもそのはずで
「光宗君の江戸の納涼の亭」だったとパンフに書いてある。
パパの忠宗氏が息子を偲んでわざわざ江戸から移築したそうだ。
おかげで、江戸の大火も後の震災や空襲も逃れることができた「大悲亭」
江戸の伊達藩上屋敷あたりに有った物なのかなあ。
お庭は美しいし
江戸初期の混沌とした伊達家のエピソードが満載で
この円通院はとても気に入りました。
予備知識ナシで巡る旅は「へ~!」がいっぱい。
新鮮でいいもんだ!
※円通院と敷地つづきにあるこの料理屋さん、「雲外」
非常にイイお出汁のカホリを漂わせていたので
アタリの店なんじゃなかろうか、と思い・・・いつかの為に要チェック。
(↑自分の為の記憶メモです)
【 つづく 】
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